2000年に公開された『バトル・ロワイヤル』は、あまりに有名すぎて、すっかり自分のなかでは「観たことのある映画リスト」に入っていたのですが、観たことあったのはⅡのほうで、一作目は今回初めて見たことになります。
『神さまの言うとおり』は、以前も配信でみたので、2回めです。
デスゲームは好きなジャンルなので、何度も繰り返して観ることが多いのですが、なぜ繰り返し観てしまうのでしょうか?
この2作を見た後に、『今際の国のアリス』もシーズン1から見直してしまいました。
デスゲームといえば首輪ですが・・・
『今際の国のアリス』でも、爆薬が仕掛けられた首輪が登場しますが、その始まりは、もしかすると『バトル・ロワイヤル』なのでしょうか?
デスゲームを描いた映画は、2000年以降、急激に増えています。
となると、首輪は『バトル・ロワイヤル』で初登場なのかしら?
コミックや小説では、それ以前から登場していたのかもしれませんが、映像としてはいつからなのでしょうか。
そんな疑問を持ってしまいました。
ゲームクリアで空いっぱいの花火
これも『今際の国のアリス』シーズン2で観たばかりだったので、『神さまの言うとおり』のラストで花火が上がったシーンをみて、思い出してしまいました。
『神さまの言うとおり』は2014年公開の作品なので、こちらのほうが早いことは間違いありません。
他の映画などでも、花火が上がっていたかどうか、記憶がないのですが、たぶん他作品でもみられるのかもしれません。
花火をみると、スッキリするというか、完成したような感じもうけるので、ゲームクリアのシーンに似合うのかも。
理不尽にゲームに参加させられる
デスゲームの特徴のひとつが、理由もわからず、理不尽にゲームに参加させられる、ということではないでしょうか。
2000年以降にデスゲーム系コンテンツが増えてきた理由として、日本人の多くが、「理不尽な社会に放り込まれている」という感覚を共通してもっているのではないか?と思うのです。
答えはなかなか見つからず、ただただゲームをクリアするだけ。
ときには、協力していた友人を追い落とし、裏切ることも。
自分が生き延びるためには、あらゆるものを犠牲にしなければならない、というのがデスゲームの論理だとすると、これに反旗を翻したり、ゲームの本質は信頼と協力だと信じたりすることで、ゲームはクリアできるという顛末を迎えることが多いと思います。
『バトル・ロワイヤル』は、藤原竜也さんが反旗を翻して、ゲームから離脱し、逃亡者となる場面で終わります。
『今際の国のアリス』は、人を信頼することや友情・協力といったことを描いているようです。
いずれにせよ、理不尽にゲームに参加させられるという点では同じであり、そんな参加者の気持ちを、誰もが持っているのかもしれません。
だから、繰り返し観てしまうのかも。
<関連の投稿>
コメント
コメントを投稿