【Netflix】『バトル・ロワイヤル』『神さまの言うとおり』

バトル・ロワイヤル』と『神さまの言うとおり』を観ました。



2000年に公開された『バトル・ロワイヤル』は、あまりに有名すぎて、すっかり自分のなかでは「観たことのある映画リスト」に入っていたのですが、観たことあったのはⅡのほうで、一作目は今回初めて見たことになります。

神さまの言うとおり』は、以前も配信でみたので、2回めです。

デスゲームは好きなジャンルなので、何度も繰り返して観ることが多いのですが、なぜ繰り返し観てしまうのでしょうか?

この2作を見た後に、『今際の国のアリス』もシーズン1から見直してしまいました。




デスゲームといえば首輪ですが・・・

今際の国のアリス』でも、爆薬が仕掛けられた首輪が登場しますが、その始まりは、もしかすると『バトル・ロワイヤル』なのでしょうか?

デスゲームを描いた映画は、2000年以降、急激に増えています。

となると、首輪は『バトル・ロワイヤル』で初登場なのかしら?

コミックや小説では、それ以前から登場していたのかもしれませんが、映像としてはいつからなのでしょうか。

そんな疑問を持ってしまいました。



ゲームクリアで空いっぱいの花火

これも『今際の国のアリス』シーズン2で観たばかりだったので、『神さまの言うとおり』のラストで花火が上がったシーンをみて、思い出してしまいました。

神さまの言うとおり』は2014年公開の作品なので、こちらのほうが早いことは間違いありません。

他の映画などでも、花火が上がっていたかどうか、記憶がないのですが、たぶん他作品でもみられるのかもしれません。

花火をみると、スッキリするというか、完成したような感じもうけるので、ゲームクリアのシーンに似合うのかも。



理不尽にゲームに参加させられる

デスゲームの特徴のひとつが、理由もわからず、理不尽にゲームに参加させられる、ということではないでしょうか。

2000年以降にデスゲーム系コンテンツが増えてきた理由として、日本人の多くが、「理不尽な社会に放り込まれている」という感覚を共通してもっているのではないか?と思うのです。

答えはなかなか見つからず、ただただゲームをクリアするだけ。

ときには、協力していた友人を追い落とし、裏切ることも。

自分が生き延びるためには、あらゆるものを犠牲にしなければならない、というのがデスゲームの論理だとすると、これに反旗を翻したり、ゲームの本質は信頼と協力だと信じたりすることで、ゲームはクリアできるという顛末を迎えることが多いと思います。

バトル・ロワイヤル』は、藤原竜也さんが反旗を翻して、ゲームから離脱し、逃亡者となる場面で終わります。

今際の国のアリス』は、人を信頼することや友情・協力といったことを描いているようです。

いずれにせよ、理不尽にゲームに参加させられるという点では同じであり、そんな参加者の気持ちを、誰もが持っているのかもしれません。

だから、繰り返し観てしまうのかも。



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