30代くらいまで、わたしにはたくさんのこだわりがありました。
着るものはこうでなければならない。
靴はこうでなければならない。
下着はこうあるべきである。
宿泊先はこのレベルでなければならない。
移動には快適なクラスを利用すべきである。
などなど、どれもこれも、今となっては笑い話です。
モノへの執着やこだわりは、自分の思い込みもありますが、他者との比較による感情的な優位性(おごり)と関係が深いように感じます。
自分は誰かに見られている、誰かから見比べられている、という自意識が、思春期のころから強烈になってきます。
この自意識が、30歳位までは継続しているから、執着やこだわりが強いともいえます。
わたし自身にも覚えがありますが、過剰なまでの自意識は、自分の行動を制限し、言葉には毒を含むようになります。
あるとき、履いていたストッキングが伝染してしまいました。
夜で、近くにはコンビニもなく、履き替えることができません。
それを気に病んで、ぐずぐずと文句を言っていると、そのとき一緒にいた男性から、
「ストッキングの伝染なんて、誰も見てないし、気づかないよ」
と言われたのです。
つまり、わたしが自意識過剰だと指摘されたと同時に、他人は、自分が思うほどには回りを見ていない、ということに気付かされたのです。
それ以来、ちょっとした化粧崩れやストッキングの伝染を気にして、イライラするようなことが少なくなりました。
女性のなかには、「美魔女」と呼ばれたり、見られたりすることに喜びを感じる方がいらっしゃいますが、そこまで美に執着することが良いものなのか、私には疑問です。
「年齢よりも若く見られたい」
誰でも思うことですが、年齢相応の美しさというものもあると思うのです。
若さへの執着、美意識へのこだわりは、エスカレートしやすいので、医療的な行為へと走りやすい。
美容整形を、わたしは否定はしませんが、やりすぎてる人を間近で見ると、本当に気持ち悪いんですよ。
遠目には美人に見えても、至近距離で見ると、あきらかに異様な感じを受けるのです。
ここまで来ると、精神的になにかお悩みがあって、闇が深いのだろうな、と思ってしまいます。
加齢は含まれていません。
まず第一は、仕事です。
仕事で出張や移動が増えてくると、自分のこだわりに関係なく、電車や飛行機を選ばなくてはなりません。
海外出張はスケジュール優先なので、座席のクラスや航空会社のレベルよりも、いつ、どこから、どこまで飛んでいるかが、最も優先されます。
経営者でも、会社の財務状況を考えたらビジネスクラスには乗れませんし、滞在するホテルも贅沢をいえません。
そういう経験をすると、海外でも日帰りできるなら日帰りで、と考えるようになります。
また、LCC(格安航空会社)が増えてきたことも、執着やこだわりを捨てさせていると考えています。
LCCは、運賃を低価格に抑えるために、余計なサービスは一切行いません。
機内食も有料です。
裏返すと、飛行機では機内食が当たり前、という常識こそが、今のスタイルには合っていないとも言えるわけで・・・。
今では、eチケットは当たり前になっていますが、20年位前までは、複写式のチケットがあたりまえでしたから、その分、航空運賃に跳ね返っていたことになります。
もうひとつのきっかけが、ファストファッションです。
ユニクロやZARA、H&Mなどが、ファッションの主流になってくると、一着の服に1万円以上かけるのは、バカバカしくなってきます。
かつて、私が来ていたスーツは一着20万円以上のものばかりでした。
しかしそれらのスーツは、結局のところ、何年も着られません。
素材が最高級でも、デザインが古くなるからです。
デザインの古いものを着ていると、それこそ若く見られません。
最新のデザインのものを1万円以下で調達できる今、高い洋服を買う人の気持ちが、わたしにはよくわかりません。
ブランドに対する執着やこだわりがなくなると、洋服も靴も、身につけるものはすべて消耗品であるとしか、思えなくなってきます。
靴フェチだった私が、今では、ワンシーズン履いては捨てるというスタイルになっています。
靴は、どんなに良いものでも、いつかは履けなくなります。
だったら、安くても、いつも買ったばかりのような靴のほうが、良いのではないか。
これが、靴フェチから脱却した理由です。
もちろん、出る場所によっては、良い靴でなければならない時がありますから、今でも高価な靴を買うことがありますが、年に1足あるかないか、という感じです。
モノへの執着やこだわりを捨てると、今までとは全然違う考え方が芽生えてきます。
それは、高価なモノ、上等なモノが、かならずしも良いわけではない、という考え方です。
素材が上質なものは、洗濯機で洗濯できません。
クリーニングに出さなければなりません。
以前のわたしは、毎週のようにクリーニングを利用していました。
しかし、自宅で洗濯できるような服に変えてから、クリーニングにつかっていたお金がムダだったことに気づきました。
そんなことにお金を使うくらいなら、ボディメンテナンスや勉強、リラクゼーションなどのためにお金をつかったほうが有益です。
モノへの執着やこだわりがなくなると、お金の使いみちを考え直すようになります。
自分がなりたいイメージを、モノで表現するのではなく、自分の中身・内面で表現しようと考えるようになります。
わたしが、そういう行動にお金をかけるようになったのは40代になってから。
気づくのが遅いと後悔していますが、気づかないよりはマシだと思っています。
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着るものはこうでなければならない。
靴はこうでなければならない。
下着はこうあるべきである。
宿泊先はこのレベルでなければならない。
移動には快適なクラスを利用すべきである。
などなど、どれもこれも、今となっては笑い話です。
執着やこだわりは年齢が若いほど強い傾向に
脳の成長・成熟には時間がかかるそうで、感情面を司る前頭葉は、30歳くらいまでは未完成な状態だといわれています。モノへの執着やこだわりは、自分の思い込みもありますが、他者との比較による感情的な優位性(おごり)と関係が深いように感じます。
自分は誰かに見られている、誰かから見比べられている、という自意識が、思春期のころから強烈になってきます。
この自意識が、30歳位までは継続しているから、執着やこだわりが強いともいえます。
わたし自身にも覚えがありますが、過剰なまでの自意識は、自分の行動を制限し、言葉には毒を含むようになります。
自分が思っているほど、他人は見ていない
そんな私の心を和やかにしてくれた言葉があります。あるとき、履いていたストッキングが伝染してしまいました。
夜で、近くにはコンビニもなく、履き替えることができません。
それを気に病んで、ぐずぐずと文句を言っていると、そのとき一緒にいた男性から、
「ストッキングの伝染なんて、誰も見てないし、気づかないよ」
と言われたのです。
つまり、わたしが自意識過剰だと指摘されたと同時に、他人は、自分が思うほどには回りを見ていない、ということに気付かされたのです。
それ以来、ちょっとした化粧崩れやストッキングの伝染を気にして、イライラするようなことが少なくなりました。
加齢とともに失われる執着やこだわり
外見的なものへのこだわりや執着は、30代半ばを過ぎる頃には、ほぼなくなりました。女性のなかには、「美魔女」と呼ばれたり、見られたりすることに喜びを感じる方がいらっしゃいますが、そこまで美に執着することが良いものなのか、私には疑問です。
「年齢よりも若く見られたい」
誰でも思うことですが、年齢相応の美しさというものもあると思うのです。
若さへの執着、美意識へのこだわりは、エスカレートしやすいので、医療的な行為へと走りやすい。
美容整形を、わたしは否定はしませんが、やりすぎてる人を間近で見ると、本当に気持ち悪いんですよ。
遠目には美人に見えても、至近距離で見ると、あきらかに異様な感じを受けるのです。
ここまで来ると、精神的になにかお悩みがあって、闇が深いのだろうな、と思ってしまいます。
執着やこだわりを捨てるきっかけは?
わたしが、多くの執着やこだわりを捨てるきっかけとなった理由は、大きく2つあります。加齢は含まれていません。
まず第一は、仕事です。
仕事で出張や移動が増えてくると、自分のこだわりに関係なく、電車や飛行機を選ばなくてはなりません。
海外出張はスケジュール優先なので、座席のクラスや航空会社のレベルよりも、いつ、どこから、どこまで飛んでいるかが、最も優先されます。
経営者でも、会社の財務状況を考えたらビジネスクラスには乗れませんし、滞在するホテルも贅沢をいえません。
そういう経験をすると、海外でも日帰りできるなら日帰りで、と考えるようになります。
また、LCC(格安航空会社)が増えてきたことも、執着やこだわりを捨てさせていると考えています。
LCCは、運賃を低価格に抑えるために、余計なサービスは一切行いません。
機内食も有料です。
裏返すと、飛行機では機内食が当たり前、という常識こそが、今のスタイルには合っていないとも言えるわけで・・・。
今では、eチケットは当たり前になっていますが、20年位前までは、複写式のチケットがあたりまえでしたから、その分、航空運賃に跳ね返っていたことになります。
もうひとつのきっかけが、ファストファッションです。
ユニクロやZARA、H&Mなどが、ファッションの主流になってくると、一着の服に1万円以上かけるのは、バカバカしくなってきます。
かつて、私が来ていたスーツは一着20万円以上のものばかりでした。
しかしそれらのスーツは、結局のところ、何年も着られません。
素材が最高級でも、デザインが古くなるからです。
デザインの古いものを着ていると、それこそ若く見られません。
最新のデザインのものを1万円以下で調達できる今、高い洋服を買う人の気持ちが、わたしにはよくわかりません。
ブランドに対する執着やこだわりがなくなると、洋服も靴も、身につけるものはすべて消耗品であるとしか、思えなくなってきます。
靴フェチだった私が、今では、ワンシーズン履いては捨てるというスタイルになっています。
靴は、どんなに良いものでも、いつかは履けなくなります。
だったら、安くても、いつも買ったばかりのような靴のほうが、良いのではないか。
これが、靴フェチから脱却した理由です。
もちろん、出る場所によっては、良い靴でなければならない時がありますから、今でも高価な靴を買うことがありますが、年に1足あるかないか、という感じです。
モノへの執着やこだわりを捨てることで見えてくるもの
年末なので、大掃除と断捨離のシーズンです。モノへの執着やこだわりを捨てると、今までとは全然違う考え方が芽生えてきます。
それは、高価なモノ、上等なモノが、かならずしも良いわけではない、という考え方です。
素材が上質なものは、洗濯機で洗濯できません。
クリーニングに出さなければなりません。
以前のわたしは、毎週のようにクリーニングを利用していました。
しかし、自宅で洗濯できるような服に変えてから、クリーニングにつかっていたお金がムダだったことに気づきました。
そんなことにお金を使うくらいなら、ボディメンテナンスや勉強、リラクゼーションなどのためにお金をつかったほうが有益です。
モノへの執着やこだわりがなくなると、お金の使いみちを考え直すようになります。
自分がなりたいイメージを、モノで表現するのではなく、自分の中身・内面で表現しようと考えるようになります。
わたしが、そういう行動にお金をかけるようになったのは40代になってから。
気づくのが遅いと後悔していますが、気づかないよりはマシだと思っています。
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