執着やこだわりを捨てると生きやすい

30代くらいまで、わたしにはたくさんのこだわりがありました。

着るものはこうでなければならない。

靴はこうでなければならない。

下着はこうあるべきである。

宿泊先はこのレベルでなければならない。

移動には快適なクラスを利用すべきである。

などなど、どれもこれも、今となっては笑い話です。

執着やこだわりを捨てると生きやすい





執着やこだわりは年齢が若いほど強い傾向に

脳の成長・成熟には時間がかかるそうで、感情面を司る前頭葉は、30歳くらいまでは未完成な状態だといわれています。

モノへの執着やこだわりは、自分の思い込みもありますが、他者との比較による感情的な優位性(おごり)と関係が深いように感じます。

自分は誰かに見られている、誰かから見比べられている、という自意識が、思春期のころから強烈になってきます。

この自意識が、30歳位までは継続しているから、執着やこだわりが強いともいえます。

わたし自身にも覚えがありますが、過剰なまでの自意識は、自分の行動を制限し、言葉には毒を含むようになります。


自分が思っているほど、他人は見ていない

そんな私の心を和やかにしてくれた言葉があります。

あるとき、履いていたストッキングが伝染してしまいました。

夜で、近くにはコンビニもなく、履き替えることができません。

それを気に病んで、ぐずぐずと文句を言っていると、そのとき一緒にいた男性から、

「ストッキングの伝染なんて、誰も見てないし、気づかないよ」

と言われたのです。

つまり、わたしが自意識過剰だと指摘されたと同時に、他人は、自分が思うほどには回りを見ていない、ということに気付かされたのです。

それ以来、ちょっとした化粧崩れやストッキングの伝染を気にして、イライラするようなことが少なくなりました。


加齢とともに失われる執着やこだわり

外見的なものへのこだわりや執着は、30代半ばを過ぎる頃には、ほぼなくなりました。

女性のなかには、「美魔女」と呼ばれたり、見られたりすることに喜びを感じる方がいらっしゃいますが、そこまで美に執着することが良いものなのか、私には疑問です。

「年齢よりも若く見られたい」

誰でも思うことですが、年齢相応の美しさというものもあると思うのです。

若さへの執着、美意識へのこだわりは、エスカレートしやすいので、医療的な行為へと走りやすい。

美容整形を、わたしは否定はしませんが、やりすぎてる人を間近で見ると、本当に気持ち悪いんですよ。

遠目には美人に見えても、至近距離で見ると、あきらかに異様な感じを受けるのです。

ここまで来ると、精神的になにかお悩みがあって、闇が深いのだろうな、と思ってしまいます。


執着やこだわりを捨てるきっかけは?

わたしが、多くの執着やこだわりを捨てるきっかけとなった理由は、大きく2つあります。

加齢は含まれていません。

まず第一は、仕事です。

仕事で出張や移動が増えてくると、自分のこだわりに関係なく、電車や飛行機を選ばなくてはなりません。

海外出張はスケジュール優先なので、座席のクラスや航空会社のレベルよりも、いつ、どこから、どこまで飛んでいるかが、最も優先されます。

経営者でも、会社の財務状況を考えたらビジネスクラスには乗れませんし、滞在するホテルも贅沢をいえません。

そういう経験をすると、海外でも日帰りできるなら日帰りで、と考えるようになります。

また、LCC(格安航空会社)が増えてきたことも、執着やこだわりを捨てさせていると考えています。

LCCは、運賃を低価格に抑えるために、余計なサービスは一切行いません。

機内食も有料です。

裏返すと、飛行機では機内食が当たり前、という常識こそが、今のスタイルには合っていないとも言えるわけで・・・。

今では、eチケットは当たり前になっていますが、20年位前までは、複写式のチケットがあたりまえでしたから、その分、航空運賃に跳ね返っていたことになります。

もうひとつのきっかけが、ファストファッションです。

ユニクロやZARA、H&Mなどが、ファッションの主流になってくると、一着の服に1万円以上かけるのは、バカバカしくなってきます。

かつて、私が来ていたスーツは一着20万円以上のものばかりでした。

しかしそれらのスーツは、結局のところ、何年も着られません。

素材が最高級でも、デザインが古くなるからです。

デザインの古いものを着ていると、それこそ若く見られません。

最新のデザインのものを1万円以下で調達できる今、高い洋服を買う人の気持ちが、わたしにはよくわかりません。

ブランドに対する執着やこだわりがなくなると、洋服も靴も、身につけるものはすべて消耗品であるとしか、思えなくなってきます。

靴フェチだった私が、今では、ワンシーズン履いては捨てるというスタイルになっています。

靴は、どんなに良いものでも、いつかは履けなくなります。

だったら、安くても、いつも買ったばかりのような靴のほうが、良いのではないか。

これが、靴フェチから脱却した理由です。

もちろん、出る場所によっては、良い靴でなければならない時がありますから、今でも高価な靴を買うことがありますが、年に1足あるかないか、という感じです。


モノへの執着やこだわりを捨てることで見えてくるもの

年末なので、大掃除と断捨離のシーズンです。

モノへの執着やこだわりを捨てると、今までとは全然違う考え方が芽生えてきます。

それは、高価なモノ、上等なモノが、かならずしも良いわけではない、という考え方です。

素材が上質なものは、洗濯機で洗濯できません。

クリーニングに出さなければなりません。

以前のわたしは、毎週のようにクリーニングを利用していました。

しかし、自宅で洗濯できるような服に変えてから、クリーニングにつかっていたお金がムダだったことに気づきました。

そんなことにお金を使うくらいなら、ボディメンテナンスや勉強、リラクゼーションなどのためにお金をつかったほうが有益です。

モノへの執着やこだわりがなくなると、お金の使いみちを考え直すようになります。

自分がなりたいイメージを、モノで表現するのではなく、自分の中身・内面で表現しようと考えるようになります。

わたしが、そういう行動にお金をかけるようになったのは40代になってから。

気づくのが遅いと後悔していますが、気づかないよりはマシだと思っています。


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