開運のために、自宅から南の神社を目指してみたら、桜田通り沿いをしばらくのあいだ歩くことになりました。
あるいていくと、まず明治学院大学があります。
チャペルが有名です。
明治学院大学 |
桜田通りは、十数年前からタワーマンションがたくさんつくられていて、景観がかなり変わってきています。
東京のメインルートのひとつなので、道幅はひろい桜田通りですが、昨日、袖ガ﨑神社の氏子の方に教えていただいたところ、1964年の東京オリンピックを機に、道路が拡張されたのだそうです。
自宅から、ちょうど30分歩いたところにあったのが、その袖ガ﨑神社です。
オリンピック前にはもっと広かったのだそうです。
袖ガ﨑神社の由来 |
この袖ガ﨑神社は、 平安時代の保延3年(1137)に、京都から稲荷大明神を勧請したと伝えられ、もとは忍田稲荷と称したそうです。
江戸時代にはこの付近に大名家や旗本の下屋敷が多く、袖ケ崎神社は、これらの人々の帰依を受けていました。
三代将軍の徳川家光はじめ、伊達家、細川家がお参りしていたと由緒書きにあります。
何度かの火災で社殿を焼いていて、延享2年(1745)の火災の折りには、伊達家が新社殿を寄進しています。
また細川豊前守が、金箔塗りの神狐1対を奉納したとの記録もあるそうです。
こじんまりした本殿の裏は墓所 |
この袖ガ﨑神社と宮司さんが同じだと教えていただいたのが、さらに五反田方面に下ったところにある雉子神社です。
雉子神社の由来 |
こちらも三代将軍、徳川家光ゆかりの神社です。
家光が鷹狩りをしていたとき、1羽の白いキジがこの神社に逃げ込んで見えなくなったことから、家光がこの神社を「雉子丿宮」と呼ぶよう命じたと伝えられています。
20年以上前に、境内に大きなビルが建つことになり、社殿はそのなかに改築されたそうです。ビルの中にある神社です。
大イチョウがあります |
雉子神社の鳥居 |
鳥居からつづく階段 |
ビルのなかにある本殿 |
本殿のやねにはキジが乗っています |
リアルなキジです |
おみくじが50円とお安いので引いてみました。末吉でした。
三柱神社 |
袖ガ﨑神社よりも、派手で立派ですし、文化財もおおい雉子神社ですが、袖ガ﨑神社のほうがお賽銭は多いのだそうですよ(氏子さんから聞きました)。
神社からの帰り、気になってはいても足を向けたことがなかった清正公(せいしょうこう)に立ち寄りました。
清正公とは、加藤清正のこと。
大河ドラマ「真田丸」に出てます、あの方です。
お寺の名前は覚林寺。
加藤清正の位牌や像が祀られていることから清正公と通称されています。
戦上手の加藤清正にあやかり、勝負祈願の寺として信仰を集めています。
港区文化財の説明 |
縁起の説明 |
本堂 |
山門 |
石碑の周辺はふるい家屋がならびます |
創建は、可観院日延という朝鮮の王族のかた。
加藤清正が、朝鮮出兵のおりに、日本に連れ帰ったといわれる人物です。
なんか意外な史実です。
桜田通りは、タワーマンションがたちならぶ通りですが、歩いてみると、意外にも墓所が多いことに気づきます。
品川方面は海岸線が近かったこともあるのか、古刹がおおいという特徴がるからでしょうか。いまでも申し込みを受け付けているお寺がいくつもあります。
桜田通りには、今ではこじんまりとしてしまった江戸時代の信仰の現場、パワースポットがたくさんあります。
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