『リプリー』見ました。
パトリシア・ハイスミスの小説が原作のドラマで、最初に映像化されたのは、1960年の映画で、アラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』です。
次に映像化されたのは、マット・デイモン主演の映画『リプリー』です。
1999年に制作され、原作小説に近いと評価されているようです。
この映画は、公開当時に観ていますが、あんまり良い印象をもっていません。
しかし、アメリカではそれなりに評価が高かったようです。
続編も制作されていて、世の中には、この手の作品を好む層がいることを証明しているのかもしれません。
そしてドラマ化です。
1話60分前後、全8話。
1960年代の時代背景ということもあるのか、モノクロ作品です。
イタリアの建築や建造物など、とても良い感じです。
『太陽がいっぱい』
アラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』はフルカラーで、イタリアのまばゆい太陽を描き出しています。
ディッキーの親に頼まれたトム・リプリーは、、イタリアにやってきて、ディッキーに取り入ろうとします。
しかし、ヨットのなかで、衝動的にディッキーを殺してしまいます。
そして、ディッキーの生活を盗み取りますが、それもディッキーの友人にばれて、この友人も殺してしまうのです。
しかし、ラストシーンで、売却しようとしたヨットのスクリューに死体を包んだロープが絡み、ディッキーの遺体が発見されてしまうのです。
嘘に嘘を重ねつつも、最後は逃げきれない。
それが『太陽がいっぱい』なのです。
映画『リプリー』
こちらは、トム・リプリーはゲイだという設定です。
『太陽がいっぱい』でも、それらしい雰囲気はあるのですが、より鮮明です。
またドラマ版では、トム・リプリーもディッキーも、どちらもゲイの可能性があるようです。
『太陽がいっぱい』は、原作小説のラストが変わっていますが、こちらのほうは逃げ切ることに成功したかに見えて、さらに殺人に手を染めるというラストになっています。
続編制作を意識すれば、そういうことになりますよね。
パトリシア・ハイスミスの小説
原作者のパトリシア・ハイスミスは、トム・リプリーというキャラクターがお気に入りだったようで、トム・リプリーが主人公の犯罪小説を5作も書いています。
- 『太陽がいっぱい』
- 『贋作』
- 『アメリカの友人』
- 『リプリーをまねた少年』
- 『死者と踊るリプリー』
すべて日本語訳が出版されています。
これらのなかで、『太陽がいっぱい』『贋作』『死者と踊るリプリー』を読んでいますが、いずれの作品も、トム・リプリーは、息をするように、犯罪に手を染めることが描かれています。
殺人は、問題解決のための手段でしかなく、また計画的ではありません。
そして、物語全体に暗さがありません。
どちらかといえば、明るくて楽しい犯罪小説といえます。
だから、トム・リプリーのファンがいるのかもしれません。
Netflix版『リプリー』
さて、本題のドラマ『リプリー』です。
主演は、『シャーロック』シリーズで、ジム・モリアーティを演じていたアンドリュー・スコットです。
人間のやることなんて、穴だらけ、ということかもしれません。
また、スマホもSNSもない1960年代だからこそ、殺人犯が一人二役を演じ分けることができているのであり、通信手段が手紙と電話だからこそ、の設定です。
もしも、トム・リプリーが現代にいたら、どんなことをするのでしょうか。
最後は、逃げ切ったかのようにみえたトム・リプリーでしたが、ディッキーの写真をみた刑事は、逮捕に執念を燃やすようなラストシーンで終わりました。
シリーズ化される可能性を残しています。
希望としては、原作小説全5作をドラマシリーズにしていただきたい、と思います。
<関連の投稿>
コメント
コメントを投稿