韓国版『スマホを落としただけなのに』を観ました。
日本版の『スマホを落としただけなのに』を観ていると、「ちょっと違うな」と感じてしまう作品かもしれません。
日本版『スマホを落としただけなのに』『スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼』を合体したような印象です。
原作に近いのはどちらなのかわからないので、さっそく原作3部作を注文してしまいました。
連続殺人鬼がスマホを拾ったら
韓国版のほうは、スマホを拾ったのが連続殺人鬼、という設定です。
ここは、日本版も同じだったと思うので、スタートは一緒です。
この連続殺人鬼はスマホ修理の店を営業していることになっているのですが、顧客リストをみると、全てが殺されている人たち。
そして、「連続殺人鬼は自分の息子ではないか?」と悩む刑事の葛藤が描かれています。
日本版のほうでは、親子関係は、千葉雄大さん演じる加賀谷学と母親の関係が描かれているくらいでしたが、韓国版はもっと密な親子関係を描いています。
視点が違うとこうなるのか、という印象です。
日本と韓国では怖さの伝え方が違うかも
日本版は『リング』の中田秀夫監督なので、ホラーっぽいかとおもいきや、そうでもありません。
むしろ、わかりやすいくらいにわかりやすい内容になっていると思います。
韓国版は、連続殺人鬼の正体が最後まで謎として残されています。
それ以外は、むしろわかりやすく追い詰められていくヒロインがいて、それを心配する父がいて、という設定です。
スマホを落としたとき、どうします?
原作小説は、2017年に初出なので、今よりは大らかなのかな?とは思います。
でも、性悪説で対応する人と、性善説で対応する人とでは、戻ってきたスマホに対する姿勢がまったく異なると思うのです。
ちなみに、私は性悪説なので、スマホを修理に出すだけでも、かなり不安になります。
修理するときにパスコードが必要なので伝えますから、基本的に写真や個人情報にかかわるデータ類は、スマホから削除(データはクラウドに残しておいて)して渡すようにしています。
落としたスマホが戻ってきたときは、たぶん、入っているアプリチェックを入念に行うでしょう。
カメラとか、音声とかは狙われやすいので、スパイアプリは必ずチェックすると思います。
ところが、映画の登場人物はそうではありません。
2022年作の韓国版では、ぜんぜん疑いもせず、むしろ感謝してしまっています。
ここまで性善説で良いのかな、とこちらが思うくらいに、相手を信用してしまうのです。
そんな娘に注意するのが父なのですが、どちらかというと性悪説の父は、連続殺人鬼に拘束されてしまいます。
注意深い人物は、犯罪者にとっては危険人物。
自分の目的のためには、事前に排除するという怠りなさなのです。
続編はないかな
韓国版を観て、「続編はないかな」と思います。
少なくとも、次が観たいとは思えませんでした。
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