今日できなくても明日できる子ども、今日できても明日できなくなる老人

人間の脳は、55歳前後がもっとも賢くなり、その後、急速に衰えていくのだそうです。

脳が賢くなるとは、脳という器官そのものの成熟(感情コントロールや経験など)を指しているのですが、実際にその年齢になると、ちっとも賢いと感じません。

むしろ、なんとできないことが多いのだろう、と無力感を感じることもしばしばです。

今日できなくても明日できる子ども、今日できても明日できなくなる老




両親と暮らしてわかる老い

わたしは、月の半分くらいを、実家の両親と一緒に生活しています。

実家に戻るたびに、父親の認知症は進んでいないだろうか、と気になります。

さらに、認知症とまではいかなくとも、高齢な母の記憶もまた、アテにならなくなってきています。

自分がまだ若い頃、ときどき年長者の中に「この人は何度も同じ話をする人だな」と鬱陶しい気持ちになった人がいましたが、老いが進むと、誰に何を、何回話したのかがわからなくなるみたいです。

老人が何度も同じ話をするのは、なにかのきっかけで思い出したから話す、という感じで、とりとめがありません。

これこそが老いなのだと感じます。

また、手足が若い頃のように自由に、かつ、瞬間的に動かなくなっていても、気持ちだけは若い頃の運動能力をキープしていると思っていることにも、驚きます。

わたしは、数年前に駅のエスカレーターから落ちて骨折して以来、とにかく階段は怖いので、絶対に手すりにつかまります。

東京で生活していると、階段はどこにでもあるので、必然的に足元に注意するようになりますし、自分の運動能力の衰えを感じるものです。

しかし、地方で生活していると、階段は家の中くらいで、基本的に平地、車移動なので、足が衰えていることに気づきにくいのかもしれません。


今日できても明日できない

老人は、今日できたことが明日できなくなります。

今日は越えられた段差が、明日には越えられなくなる。

できないことが、少しずつ増えていくのです。

最初は補助がなくてもできていたことが、数年の間に、少しずつ出来なくなっていく。

そういう親の姿を見るのは、なかなかツライものです。


今日できなくても明日できる

一方、子どもは、今日できなくても明日はできます。

家のなかに、育ち盛りの子どもがいると、成長とか発展、進展といった前向きなヴィジョンが思い浮かびます。

たまに親戚の子どもがやってくるだけで、家の中が、ポジティブな空気感になります。

少しずつできることが増える子どもと、少しずつできることが減っていく老人とでは、家のなかのムードまで変わるのだ、と実感せざるを得ません。


話し相手となることの大切さ

「こういう話は子どもにしかできない」

と、親が言うことがあります。

大した話ではありません。

親戚や、身内の昔話が多く、その中から得た共感といったものが中心です。

近所に住む友人と話をしても、わかってもらえないと感じているのかもしれません。

リタイアしてしまうと、人間関係が極端に狭くなる人がいますが、そこまでではないにしても、人間関係が縮小していることは間違いなく、出歩く機会は減っています。

家族旅行で刺激を

家族旅行を企画して、両親に刺激を与えることも大切だと思っています。

非日常は、脳に刺激を与えますし、何より身体を動かすことになります。

しかし、今よりも両親の身体が動かしにくくなれば、外出するのも大事になるので、この数年くらいが勝負だと思います。

ご両親と、久しく旅行に行っていない方には、ぜひ行ってください!とおすすめします。



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