【阿部 智里】「玉依姫 八咫烏シリーズ5」




八咫烏シリーズ「玉依姫」読了。

順番ではこちらが5番目なのですが、出版時に、八咫烏以前のストーリー、とあったので、読まなかったのです。

で、先日、完結編の「弥栄の烏」を読んで、これはやっぱり5番目の「玉依姫」を読まねば~、ということで読みました。

玉依姫 八咫烏シリーズ 5

阿部 智里 文藝春秋 2016-07-21
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はっきり言って、完結編の「弥栄の烏」があんまりおもしろくなかったのは、この「玉依姫」があったからなのね~、という感じです。
ここで、ある意味、ストーリーが完結してますから。


御供と山の神の物語

玉依姫」は、山の神にささげられる人身御供の少女と、山の神の物語。

100年以上も山の神との関わりを断っていた八咫烏が、金門を開けてふたたび山の神との関わりを持つようになってから、が背景です。
つまり、「玉依姫」は「弥栄の烏」と裏表にある関係です。

御供となる少女が、山の神の母である玉依姫に導かれて、山の神をいつくしみ育てることで、正しい山の神になっていく過程が描かれています。


名前を忘れた神の本当の名前を探す

山の神がまちがった方向に行ってしまったのは、本当の名前を忘れてしまったからではないのか?

本編では少ししか登場しない八咫烏の交易相手・天狗が活躍し、玉依姫が母親となっている日本中の神社の祭神を探します。

そしてたどり着くのが、日吉大社。
猿が使え、八咫烏も関係する祭神が祀られていることを知ります。

日吉大社のWebサイトには、由緒について、こんな風に説明があります。
比叡山の麓に鎮座する当大社は、およそ2100年前、崇神天皇7年に創祀された、全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮です。平安京遷都の際には、この地が都の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社として、また伝教大師が比叡山に延暦寺を開かれてよりは天台宗の護法神として多くの方から崇敬を受け、今日に至っています。

2000年以上前に創建された神社というのは、あんがい珍しく、山梨県の金櫻神社も崇神天皇との関係がある2000年以上という歴史のある神社でした。

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ところが、探し当てた名前を山の神に伝えても、反応がありません。



荒魂(あらみたま)と和魂(にぎみたま)

弥栄の烏」では、山の神は殺され、山の神を倒した英雄が新たな山の神となった、といいう理解がなされます。
これにともない、八咫烏の世界はいつまで続くのかわからない、という印象を読者に与えます。

しかし「玉依姫」では、山の神=荒魂、英雄=和魂、という関係にあり、そもそも神とは荒魂と和魂の双方を有しているのである、という理論のもと、荒ぶる山の神と英雄が合体して、本来の神の姿に戻った、ということになります。

この荒魂、和魂というのは、そもそも古神道の考え方で、それぞれ別名をもつこともあるため、別々の祭神として祀られることもあるという、ややこしい考え方。

神道には一霊四魂説というものがあり、荒魂・和魂・幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)が並列関係にあり、それを統合するのが直霊(なおひ)というものです。

また、さらにややこしいのが、神様は無限に分祀することができるという神道の考え方で、神様はそこら中におわします。

キリスト教でも「神は遍在する=どこにでもいる」という考え方なので、神様の世界では一般的な考え方なのです。


世界観は良かったけど、狭い

完結編まで読んで思うのは、最初の世界観の雄大さに比較すると、残念な終わり方でした。

小野不由美さんの「十二国記シリーズ」や上橋菜穂子さんの「守り人シリーズ」に比べて狭いです。

その原因は、国家間との交流や争いが設定に欠けているから。

八咫烏シリーズでは、八咫烏以外には天狗と猿、そして山の神と人間という関係しかないのが世界観が狭くなってしまった理由だと考えます。

やはり、現実世界同様、他者との交流にこそ物語は生まれるようです。


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