遅ればせながら「火花」読了。
受賞こそ逃したものの、超のつく話題作だったので、いったいどんなストーリーなんだろう、とワクワクして読みました。
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売れない、貧乏な芸人同士が出会い、一方はすこしずつ売れていくなか、笑いの哲学を持っているほうはなかなか売れない。しかも借金がとんでもないことになっていく・・・。
著者は、この小説で、笑いとは何か?をつきつめたいわけではなく、おそらくは、芸人の間ではごく普通に交わされる会話を、ふたりの芸人に言わせているんだろうなと感じました。
そこにあるのは、答えがあるのかどうかわからない世界でもがく芸人という人々。
そんなに面白くなくても、顔でファンを集めることができる芸人は、それはそれで実力、という世界にあって、漫才のおもしろさを熱く語り合う、というあたりに青春群像を感じます。
ストーリーの後半、そこそこ売れたにもかかわらず、相方の結婚で芸人を辞めてしまう後輩。
一方、借金で自己破産したにもかかわらず、何がおもしろいのかと問い、笑いのためにはなんでもやってしまう先輩とが、再会した場面こそが、著者が言いたかったことなのかな、と思いました。
一般人が嫌がることはしてはならない。
つまり、笑いも社会常識によって、タブーというものが変化していること。
そして何より大切なことは、お客さんに嫌な気分を味あわせないこと。
借金先輩がかつて滔々と並べたてたであろう笑いの哲学を聞いていた後輩が、サラリーマンになって、逆に先輩に意見するのです。
私は、この借金先輩を見ていて、バブル時代に流行った「差別化」を思い出しました。
友達とは違うモノを持ち、友達とは違う経験をし、友達と自分は違うことを表現するのが、若者の間でおこった差別化でした。
これって、友達がやっていないことを誰よりも早く始めるとか、誰もやっていない(と思われること)をやる、というがかっこよいと思われていたので、ある意味、どんどん普通から離れていきます。
ファッションが典型的で、普通の女子大生が、自分を他社と差別化しようとしてデザイナーズブランドに手を出し、最先端なのかもしれないけど、普通は引くよね、という格好になってしまう、という実際にあった本当の話と、借金先輩の姿がダブるのです。
ファッションだと、彼氏ができたとたんにお嬢様スタイルに戻ることもあるので、救いはあると思いますが、笑いだと誰かが止めなければ、これはウケるはず、という思い込みでエスカレートすることもあるのでしょう。
もうひとつ感じたのは、対外的に「自分」というキャラを徹底して演じることの落とし穴、みたいなものです。
借金先輩も、笑いに厳しい自分、先輩だからおごっちゃう自分、というキャラを捨ててしまえば、もっと楽に生きられたのにな、と思いました。
本書は、今、なにかにもがいている方におすすめしたいです。
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