辛亥革命 蒋介石の国際戦略




NHK-BSで再放送された、辛亥革命100年を記念した番組を見ました。

全3回、1回目が孫文、2回目が溥儀で、ここまでは辛亥革命を支えた日本人、翻弄される溥儀の侍従長など、日本人がどのように関わっていたのか、を描いていたのですが、第3回は蒋介石の日記などをもとにした、対日交戦に代わります。


第3回を見て「なるほど」と思ったことがあります。

それは、なぜ第2次大戦後のことを決める重要な国際会議に蒋介石が出席していたのか、です。

私は大学時代に歴史を学んでいますが、日中戦争だけに限って言えば、日本のほうが優勢でした。
なのに、戦争終結直前になぜか蒋介石が世界の舞台に登場するんです。
ずーーっと、私の中では疑問でした。


それが氷解したのです。
蒋介石がカイロ会談に登場したのは、対外的なプロモーション効果だったのです。

たとえば、西欧列強に対して、蒋介石は日本に対して経済制裁を実施するように主張しますが、それは会談直後には成功しません。
さらに、ソ連には日本に対して宣戦布告を行うことを依頼します。
そしてこれも会談直後には実現しません。

しかし、結局日本は、ABCD包囲網とされる経済制裁を受け、第2次世界大戦へと進んでいきます。

真珠湾攻撃から始まる対米戦線が開かれます。

そして、終戦直前にはソ連から宣戦布告を受けるのです。

つまり、蒋介石のプランは実行された、と考えてよいのではないでしょうか。


蒋介石は、海外メディアに訴えるために、周到な準備をしています。

日本軍との戦いを、欧米メディアに自由に撮影させ、報道できるように場所を選んでいたことが、そのひとつの事例です。

北京で戦争しても国際的に注目されないから、上海で戦線を開くなど、国際世論を喚起することを目的に準備していたのです。

また、蒋介石の妻は宋美齢という、米国留学経験のある人でした。

宋美齢は、蒋介石の妻として、海外メディアに登場し、流暢な英語で日本軍のことを非難したのです。
そして、なんと、日本製品をボイコットするように主張するのです。これがABCD包囲網につながりました。
妻の力は偉大です。


そして、これが最も重要なことですが、当時の蒋介石は、日本軍に勝てるとは思っていなかったようです。
そのため、外交手段、それも国際世論において日本を貶めることに戦略を見出したようです。

これはPRの手法としては正しい考え方です。

つまり、製品として圧倒的な強みがない場合、PRによって、顧客を獲得するというのは当然の策だからです。

蒋介石は、様々なリソースを失いながらも、結局米国メディアをはじめに10万ドルの対外プロモーション費用を継続して使っていたようです。

蒋介石は最終的に台湾に逃れましたが、戦後、中国が、国際連合において常任理事国の地位を確保できたのは、蒋介石の国際世論に対するプロモーション効果があったからでしょう。

日本は今、蒋介石を見習うときです。

何も発言しないのは存在しないことです。
そして、英語的には、話もできないバカとみなされます。

同じようなことが今も起こっていると感じているのは、私だけではないはずです。






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