「アニマルスピリット」を読了。
著名な経済学者によるものですが、素人にも読みやすい内容、というか訳がいいのかもしれません。そしてこの本の価値も実は”訳者あとがき”にあると思いました。
たとえば「アニマルスピリットと本書の想定読者」には、
人間は合理的ではなく、不合理なアニマルスピリットを持つと指摘される。(中略)人間は合理的になりきれないバカだということだ。人間がもっと合理的に行動してくれたら、こんなに結構なことはないのである。インフレにまどわされず、額面の数字にとらわれずにお金の実質的な価値をちゃんと認識し、デフレなら給料が下がっても納得し、投資の損はすっぱりあきらめ、他人と比べてどうだろうと自分の利益だけをきちんと考え、流行や無内容なお話や空気に流されることなく、常に冷静に自分なりの判断を下せるのであれば、不動産や株式市場のバブルは相当部分なくなるし、失業も楽に解消される。アニマルスピリットのせいで、それができないから苦労する。問題は、そういう人間のバカさ加減を政策的にどう補うか、ということだ。
とあります。
つまり、これがこの本の趣旨で、想定読者としては、
既存のマクロ経済学理論の中にどっぷりつかり、それを空気のように当然のようなものと思っている人々となる。このため、一般人が普通に本書を読むと、当たり前のことが延々と書かれていて不思議に思ってしまうかもしれない。
と書いています。
そうなんです、マーケティングなどという、まさにアニマルスピリットを鼓舞・誘導するような商売に携わる者にとって、そんなに面白くはない内容なんです。ただし、マーケティングプランをたてるときに必要な要素について、経済学者の視点で解説されていたりするので、面白い点もいくつかありました。ここでメモ代わりに紹介しておきます。
示唆的な物語や、新しいビジネス方式、他人が金持ちになっている話などは、高い安心と関連しやすい。(中略)物語の拡散は、伝染病のようなかたちでモデル化できるだろう。物語はウィルスのようなものだ。口伝で広がるのは、一種の感染のようなものだ。感染症学者は伝染病の数学モデルを開発しており、これは物語や安心の拡散にも適用できる。
P208からのトヨタ自動車とアルゼンチンの自動車会社との比較のなかから。著者から見るとトヨタの成功はこう見えるのです。
トヨタ自動車を創業したのは、自動織機運営業の一家だった。創業時点では、これは単なる自信のあらわれにとどまるものではなく、ほとんど病理的な自信過剰の見本に見えたはずだ。(中略)トヨタの創業は、個人の大胆さが伝統的な常識に勝利した見事な例だ。ある意味でそれは、日本を間違ったかたちで1931年に満州侵攻へと押しやった、楽観主義と愛国心を反映したものだったとも言える。
だがこの種の自信過剰は、日本文化にしばらく前から見られるようになっていた。それは特に福沢諭吉が発展させた国家哲学の一部となっていた。福沢諭吉は現代日本の創始者の一人とされる。かれは自立と外国から学ぶことについての物語を奨励し、外国の成功を精力的にまねても恥ずかしいことは何もないと論じた。他人のまねを、日本人の相違と知性のシンボルにしたのが福沢だ。
そして次は、1980年代後半の日本でも頻繁に使われた物語です。アメリカではついこの間まで日本の不動産バブルと同じことが行われていたんですね。
「人口が増えると土地の需要は増える。土地は一定範囲からは拡大できないから、需要を満たす方法は2つしかない。ひとつは空中多角に建設することだ。もうひとつは地価を上げることだ。(中略)土地が常に価値あるものだということはだれの目にも明らかであるがゆえに、この種の投資は永続的に高収益で人気が高くなったのである」
アニマルスピリットを動かすものとして。
安心、公平さ、腐敗、貨幣錯覚、物語。これらは本物の人々の本物の動機だ。それは普遍的なものだ。それが何ら重要な役割を持たないという主流マクロ経済学の想定は、われわれにはばかげているとしか思えない。
そうです。アニマルスピリットがあるから、広告もマーケティングもあるんです。
他にも黒人の貧困問題がなぜ解消できないのか、といった点などに触れ、物理学的な理論経済学がいかに無力かを示しています。
しかし、最後の訳者あとがきにあるとおり、経済学がおおむね機能しているということを無視してはいけないと思いました。
本書は想定読者である方には必読かもしれませんが、マーケティングを学ぶ方、実践している方にも興味深く読める内容だと思います。
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