こんにちは、面川です。
人間は、毎日かぞえきれないほどの選択と決断をしているのだそうです。
朝、目が覚めた瞬間から、たしかに多くの選択をしています。
このブログも、書く時間的余裕があるかどうか、出かけるまでに書けるのか?など、考えながら、書くことを選択し、書き始めています。
しかし、「あのとき、こっちを選んでいたら、もっと違う展開になっていた」と後悔したことありませんか?
私は、しょっちゅう、そんな後悔をしています。
どうして、脳は間違った選択をしてしまうのか。
いろいろな理由がありますが、日本人に特有のものもあるようです。
長時間労働等で脳が疲れていると、選択することが面倒になります。
選択肢が多いと、間違いたくないために、よく考えずに多数をとってしまうのです。
選ぶのが面倒になったときに、わたしは「どれが人気ですか?」「よく売れてるのはどれですか?」と聞いて、その商品を選ぶことがよくあります。
これが、脳の疲労によるものかどうかはわかりませんが、たくさんの人が選ぶものなら、間違いないだろうという考えに基づいていることはまちがいありません。
たとえば、最近になってはじまった、プラスチックストローをやめるとか、レジ袋有料化を義務にしよう、という動きは、倫理的であるので、反対する人は少ないと思います。
それは本当に正しいのか?
今やるべきことなのか?
と、物事の背景を考えたり、優先順位を考えたりすることなく、賛成してしまうのは、無意識な反応といえるのです。
立ち止まって考えることは、脳のつかうことになるため、疲れている脳だと、考えることそのものを拒否してしまうのではないでしょうか。
地球温暖化に対する取り組みで、資源の少ない日本では、いち早く省エネが進んだため、現在、二酸化炭素の排出量を減らすには大変な苦労があると聞いたことがあります。
これが、アメリカや中国のような国だと、ちょっと法律を厳しくすれば、二酸化炭素の排出量が減らすことができるのだそうです。
国全体で、いち早く取り組むことが、必ずしも良いわけではないという、ひとつの事例ではないかと思います。
仲間意識とか、セクショナリズムが典型的な同調圧力です。
これは、向社会性とも関係していて、日本人は、自分よりも周囲との関係を優先する傾向が高く、向社会性が強いのです。
向社会性が強いと、同調圧力に屈しやすく、さらには、自分の属する集団がやっていることは正しいと思い込みます。
これが、仲間意識やセクショナリズムの根底にあります。
協調性が高い人の集団が日本人なので、なにか倫理的に良いことがあると、無意識にそれを肯定し、いっせいにそちらの方向へと進むのです。
だれも立ち止まらないのは、恐ろしい光景です。
正しい人はルールに従順であるため、残虐行為を命じられたときに、それを断れないのです。
倫理的に正しいことを日頃から考えている人ほど、脳にはたくさんの免罪符が貼り付けられていて、倫理的に正しくない、残虐な行動に走りやすいのです。
たとえば、宗教的な家庭で育った子どもは、非宗教的な家庭の子供に比べて、利他性が低く、他人に対して批判的で、寛容的ではないという傾向がみられます。
これは、宗教上の教義が大義名分になり、他社を攻撃することに抵抗がなくなるためと考えられています。
こわいですね。
一方、麦作地帯では、合理的な判断を下す傾向が強く、どちらかといえば個人主義的。
米作は、集団で耕作するほうが収穫が高まるためだろうと結論していますが、これを日本に当てはめると、日本人が協調性が高く、集団の意志を尊重する傾向が高いのは当然のことのようです。
災害に負けない仕組みづくりのためには、集団のために犠牲を払うこと、集団を尊重することが良いこととされてきました。
そうしなければ、生き延びられないからです。
だから、向社会性が強く、協調性が高い人間が有利になったのだそうです。
わがまま言っても始まらないし、個人主義では災害には立ち向かえないことが、遺伝子レベルで理解されているのです。
日本人が、世界的に見ても特殊なのは、災害多発国という環境要因が大きいようです。
だから、大勢が選ぶほうを選択し、自分の仲間が選んだものを選び、セクショナリズムに陥りやすい。
日頃から注意して行動しないと、私たち日本人は、知らないうちに社会全体で間違った選択をしてしまいそうです。
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【中野 信子】「シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感」
【ロバート・チャルディーニ】「PRE-SUASIONープリ・スエージョンー :影響力と説得のための革命的瞬間」
人間は、毎日かぞえきれないほどの選択と決断をしているのだそうです。
朝、目が覚めた瞬間から、たしかに多くの選択をしています。
このブログも、書く時間的余裕があるかどうか、出かけるまでに書けるのか?など、考えながら、書くことを選択し、書き始めています。
しかし、「あのとき、こっちを選んでいたら、もっと違う展開になっていた」と後悔したことありませんか?
私は、しょっちゅう、そんな後悔をしています。
どうして、脳は間違った選択をしてしまうのか。
いろいろな理由がありますが、日本人に特有のものもあるようです。
脳が疲れている
後悔する選択や決断をしがちな原因のひとつに、脳の疲労があるそうです。長時間労働等で脳が疲れていると、選択することが面倒になります。
選択肢が多いと、間違いたくないために、よく考えずに多数をとってしまうのです。
選ぶのが面倒になったときに、わたしは「どれが人気ですか?」「よく売れてるのはどれですか?」と聞いて、その商品を選ぶことがよくあります。
これが、脳の疲労によるものかどうかはわかりませんが、たくさんの人が選ぶものなら、間違いないだろうという考えに基づいていることはまちがいありません。
倫理的であることを美しいと無意識に感じる
脳の疲労に加えて、人間の脳は、倫理的であることを美しいと感じるらしいのです。たとえば、最近になってはじまった、プラスチックストローをやめるとか、レジ袋有料化を義務にしよう、という動きは、倫理的であるので、反対する人は少ないと思います。
それは本当に正しいのか?
今やるべきことなのか?
と、物事の背景を考えたり、優先順位を考えたりすることなく、賛成してしまうのは、無意識な反応といえるのです。
立ち止まって考えることは、脳のつかうことになるため、疲れている脳だと、考えることそのものを拒否してしまうのではないでしょうか。
地球温暖化に対する取り組みで、資源の少ない日本では、いち早く省エネが進んだため、現在、二酸化炭素の排出量を減らすには大変な苦労があると聞いたことがあります。
これが、アメリカや中国のような国だと、ちょっと法律を厳しくすれば、二酸化炭素の排出量が減らすことができるのだそうです。
国全体で、いち早く取り組むことが、必ずしも良いわけではないという、ひとつの事例ではないかと思います。
日本人に多い同調圧力に屈する人
同調圧力とは、声の大きい人の意見や行動に同調することと言っても良いと思います。仲間意識とか、セクショナリズムが典型的な同調圧力です。
これは、向社会性とも関係していて、日本人は、自分よりも周囲との関係を優先する傾向が高く、向社会性が強いのです。
向社会性が強いと、同調圧力に屈しやすく、さらには、自分の属する集団がやっていることは正しいと思い込みます。
これが、仲間意識やセクショナリズムの根底にあります。
協調性が高い人の集団が日本人なので、なにか倫理的に良いことがあると、無意識にそれを肯定し、いっせいにそちらの方向へと進むのです。
だれも立ち止まらないのは、恐ろしい光景です。
倫理的に正しい人ほど残酷になれる
心理実験として有名なミルグラム実験では、正しい人ほど残虐な好意に抵抗がないということがわかっています。正しい人はルールに従順であるため、残虐行為を命じられたときに、それを断れないのです。
倫理的に正しいことを日頃から考えている人ほど、脳にはたくさんの免罪符が貼り付けられていて、倫理的に正しくない、残虐な行動に走りやすいのです。
たとえば、宗教的な家庭で育った子どもは、非宗教的な家庭の子供に比べて、利他性が低く、他人に対して批判的で、寛容的ではないという傾向がみられます。
これは、宗教上の教義が大義名分になり、他社を攻撃することに抵抗がなくなるためと考えられています。
こわいですね。
合理的判断をくだす麦作、協調性を重視する米作
2014年に、ミシガン大学が中国で行った研究によると、米作地帯のほうが、周囲との関係性が濃密で、集団の意志を尊重する傾向が見られたそうです。一方、麦作地帯では、合理的な判断を下す傾向が強く、どちらかといえば個人主義的。
米作は、集団で耕作するほうが収穫が高まるためだろうと結論していますが、これを日本に当てはめると、日本人が協調性が高く、集団の意志を尊重する傾向が高いのは当然のことのようです。
災害多発国に有利な協調性
米作のほかにも、日本人が、世界的に見ても突出して協調性が高い遺伝子を持っている理由として、災害多発国であったから、という原因があげられます。災害に負けない仕組みづくりのためには、集団のために犠牲を払うこと、集団を尊重することが良いこととされてきました。
そうしなければ、生き延びられないからです。
だから、向社会性が強く、協調性が高い人間が有利になったのだそうです。
わがまま言っても始まらないし、個人主義では災害には立ち向かえないことが、遺伝子レベルで理解されているのです。
日本人が、世界的に見ても特殊なのは、災害多発国という環境要因が大きいようです。
だから、大勢が選ぶほうを選択し、自分の仲間が選んだものを選び、セクショナリズムに陥りやすい。
日頃から注意して行動しないと、私たち日本人は、知らないうちに社会全体で間違った選択をしてしまいそうです。
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