来春卒業予定のマイナビ会員の大学生・院生に8月26~31日に聞き、5763人が答えた。
日程変更が就活に及ぼした影響については46・2%が「マイナス」と答え、「どちらかといえば」を含めると79・3%だった。「どちらかといえばプラス」が16・1%、「プラス」は4・6%だった。
というアンケート結果が公表され、耳目を集めているようです。
学生を毎年見ていると、就活の変化が手に取るようにわかりますが、このアンケート結果は当然といえば当然の結果です。
今年は景気が良く、就活がスムーズに進んでいるので、学生からはこの程度の反応で終わっていますが、これが3年前だったらもっと大きな問題になっていたかもしれません。
就活日程の繰り下げに関しては、私の記憶するところ、3,4年前にある教授から聞いた話が印象に残っています。
それはこんな話です。
- 「就活なんで休みます」という学生が増えてゼミが成り立たない、そればかりか、実際には就活ではないのに休む口実として就活を利用している学生が多い。
- 先生の中には就活が学業の妨げになっている、という人が増えている。
当時は3年生の秋から就活が始まっていましたから、こんな教授たちの愚痴もわからないではないのですが、この話を聞いたときに私が思ったことは、大学を卒業しても就職できていない学生が多かったら、大学としては損失だろう、ということです。
地方の私立大学の場合、最終的な武器は、就職率と就職先リストです。
この数字が入学希望者を増やすことにつながる、というが実態だと思います。
大学を卒業させることが教授の役目ではありますが、そんな先生たちの評価には、学生が何人就職したか、ということも含まれています。
人気教授は就職率の高い先生、という実態が、就職氷河期以降、鮮明になっていると思うのです。
しかも「学業の妨げ」ということについて、教える側と学生の意識の乖離が見られます。
教える側は、簡単に言うと、自分の思った通りのカリキュラムにならない、当初予定がリスケされる、というものであり、学生側は、卒論と就活を同時並行で進めるなんて無理、肉体的にも精神的にも!、ということだろうと思います。
就活以前の問題として、大学は卒論が必須、と学生の皆さんは思い込んでいますが、大学は卒論を必須にしなくても良いことを学生の皆さんはご存じない。
かつて、某有名大学では、ゼミに入って卒論を書くことができる学生はエリートでした。
先生側が自分のシラバスを予定通りに進めつつ、学生も就活に専念できるようにするには、就活の日程は今年のままで、卒論をなくしてしまえばよいのです。
そうすれば「学業の妨げ」問題は解決します。
むしろアカデミズムが、就活のために入学してくる学生の多い地方の私立大学にも必要なのか、というほうが問題だと思います。
学生に対して過度なアカデミズムを求めて卒論を必須にするなんてアホみたい、と感じることさえあります。
今、大学では、卒論を書かせるために、卒論発表会みたいなことを、何度もやってます。
これ、理系だとわからなくないんです。
お互いの興味やその解明法など、共有できれば、参考になることが多いと思います。
これが文科系となったら意味不明です。
私は、イギリス史を専攻して、もちろんイギリス史に関する卒論を書きましたが、毎週のゼミに出席する意味が分かりませんでした。
ゼミでは、学生がそれぞれ、進捗状況を先生に報告して、先生からいろいろと質問を受けるのですが、文系の場合、同じイギリス史の先生のゼミでも、卒論テーマは、時代も違えば、宗教と政治から文化・社会まで、多岐にわたります。
つまり、自分の卒論テーマと一致する人など、皆無なのです。
そんな学友たちの進捗状況を聞くことにまったく意味を見出せなかった私は、できるだけ欠席して、たまに出席しても、あきらかにつまらないといった態度でした。
今、地方の私立大学の先生が、たかがレポート程度の卒論を書かせることに、なぜそこまで執着するのか、そんな私が理解できるはずがありません。
地方の私立大学は就職のための一過程、と割り切ってしまえば、もっとできることがあると思います。
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