広告産業の生々しさ

先週の金曜日の広告産業論では、新聞というメディアについて講義しました。
広告的な価値はもちろんですが、その歴史についても理解してもらわないと、日本の広告産業における意味の理解が深まりません。

広告産業論を持つのは今年で3回目ですが、昨年度からメディアを詳しく説明するようなプログラムに変更しました。
というのも、大まかにメディアについて説明しても学生にはうまく伝わらないと感じたためです。
1年目は、広告産業について横軸、つまり手法などで説明していたのですが、基礎知識のない学生にはわかりにくい、という印象を受けたのです。
大学生は、私自身もそうでしたが、テレビを最も見ない時期、といってもよいでしょう。
特に最近ではインターネットを通じて番組も視聴できるので、テレビによる広告展開についての情報を持っていません。
また新聞にいたっては、ほとんど読んでいないため、新聞に対する興味も持っていないようです。

そこで、2年目から大まかな広告産業の市場について講義したあとから、新聞、テレビ、インターネット、雑誌といったように、広告産業を担うメディアについて講義をすることで、媒体特性やその価値について理解を深めてもらおうと考えています。
このやり方の良い点は、メディアをもう一度見直してみる、という姿勢が学生に現れることです。
メディアを見直せば、広告にも自然に目がいくことになります。そうすれば、広告の話をしても「あうん」の呼吸で反応が見られるようになります。

一方、メディアの歴史を紐解くことにもなるために、いきおい日本の歴史の時間になりがちなことです。
先週は新聞を取り上げた関係上、日露戦争の頃にあった情報統制に触れることになったり、新聞社、ラジオ局とテレビ局の関係等、戦後史にも触れることもあります。
最近のデジタル放送に関連して、当然のことならが放送と通信の深い溝についても触れ、総務省による電波行政についても説明します。
学生は、こういう裏話みたいなところに食いつきます。今まで居眠りしていた学生が、ホリエモン事件の話を始めた途端にむっくり起きだす、なんてことはざらです。

日本の広告産業は戦後、テレビとともに発達してきた産業です。
その裏話は生々しく、いかにも社会の縮図に学生には見えるのかもしれません。

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