戦時下に生まれ育ち、奥日光湯元温泉に疎開した今上天皇

先日、NHKの番組「天皇 運命の物語 第1話「敗戦国の皇太子」」を見ていて、ご縁のようなものを感じてしまいました。

というのも、今月の吉方位に行った旅行先に、今上天皇が疎開していた、というからです。

⇒ 【北へ吉方位旅行】龍神が棲まう日光へ!悪縁を断ってきました

奥日光湯元温泉に疎開した今上天皇
奥日光湯元温泉の源泉

日光には、日光田母沢御用邸記念公園(にっこうたもざわごようていきねんこうえん)というものがあります。

東照宮にも近く、天皇家の御用邸がかつてあったことがわかります。

なので、日光は天皇家と関係のある場所なのだ、と思いました。

今までわたしが行った場所としては、伊香保や下田などと同じ御用邸のある場所です。





学習院の同級生たちと一緒に日光に疎開

番組によると、太平洋戦争中、小学生だった今上天皇は、学習院の同級生たちと一緒に、日光に疎開します。

御用邸に疎開されたそうなので、日光田母沢御用邸記念公園周辺に、同級生たちと一緒に疎開されたのでしょう。



戦況が悪化し奥日光へ

しかし、1945年になり、戦況が悪化してくると、さらに山奥の奥日光 湯元温泉へと、今上天皇たちは疎開します。

湯元温泉は、東武日光駅前からバスで1時間以上という場所です。

奥日光の湯元温泉は、天候は新潟県という地域です。

奥日光湯元温泉に疎開した今上天皇
一晩で雪景色

わたしが行ったときには、地吹雪が舞い、一晩で雪景色になってしまいましたが、中禅寺湖に降りる頃には、すっかり雪は消えているという具合です。

1000年前に開湯した湯元温泉は、当時から避暑地としても有名だったらしく、旅館やホテルが立ち並ぶ地域でした。

しかし、御用邸があるわけではないので、南間ホテルという民間ホテルに滞在し、ここで玉音放送を聞き、終戦を迎えられたそうです。

薬師の湯として知られている奥日光 湯元温泉に、そんな歴史があったとは、現地にいってもわかりませんでした。

来春開業!旧南間ホテル

なにかのご縁かと思い、南間ホテルは現在どうなっているのだろう?と調べてみたら、1973年に益子町の窯元「つかもと」が譲り受け、敷地内に移築し、1986年までホテルとして利用されていました。

その後、ホテル事業からは撤退し、イベント会場(平成館)等として利用されていましたが、2016年には益子町に寄贈。

しかし、2019年春には、ふたたびホテルとして開業することになっています。



南間ホテルの建物は1882年ごろに建設された木造二階建て。

当時の雰囲気を残したホテルとして、営業するそうです。

益子町にはまだ行ったことがないので、吉方位に益子町があたったら、ぜひとも行ってみたいと思います。

戦時下に生まれ、戦争しか知らなかった今上天皇

今上天皇は、昭和8年(1933年)生まれ。

誕生したときは、すでに日本軍は中国で戦線を拡大しはじめた頃で、社会全体が戦時体制へと進みはじめていた時期です。

戦争しか知らず、次期天皇として、家族から引き離されて厳しく育てられたといいます。

現在では考えられないことですが、現人神の子、戦前の天皇絶対の時代に皇太子として過ごしたこともあり、若い頃は、国民と向き合う姿勢に戸惑いや躊躇があったようです。

しかし、美智子妃と結婚なさって、国民と対峙する姿勢に変化が現れてきます。

さらに、平成という時代は、災害やいたましい事件が多く、天皇として見舞う機会が多い時代でもありました。

今上天皇が、数多くの被災地を見舞い、数々の謝罪(戦争に対して)の旅をした様子を知る者として、若かりし頃の今上天皇の姿を知ることは、新たな発見でした。

人間は環境によってつくられる、と言われることがありますが、今上天皇の生まれた時代背景、育てられ方を知り、いっそうその思いを強くしました。


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