右手首骨折!から3ヶ月あまり、ほぼ完治しました(長文)




自分の脚力を過信して手首を骨折!

さかのぼること3ヶ月と18日前。
小雨の福島県郡山駅でした。

東北本線上りに乗車しようと走ったのがいけませんでした。
※田舎の電車は次が1時間後なので焦ってました。

2階の連絡通路からホームを見下ろすと、右手下には、乗らなければいけない車両がたたずんでいます。
時計を見ると、あと数分で発車。

とにかく急がなきゃ!という気持ちと、ダンスで鍛えた脚力に自信がありましたから、エスカレーターも早足で降りれば間に合う!はずでした・・・。

高さ5メートルほどのエスカレーターの真ん中より少し上かな、というあたりで、わたしは左手に持っていた傘に足をとられ、前のめりに転倒したのです。

直後は全く動けず、すでに乗車していた二十歳くらいの若者に助け起こされ、そのまま車内へ。

奇跡的に目的の電車には乗れました。
が、しかし・・・( ;´Д`)

右手が全く動かせず、足元を見たら、右脚(脛)はザックリと肉が切れ、白いものが見えていました。

「これは骨かも」と思ってすぐに下車。
ホームの駅員さんを呼び、救急車を呼んでくれるようにお願いしました。

立っていると脚から出血があるので、ホームに座りこみ、実家の義妹に電話。
「駅のエスカレーターから落ちて大ケガ。これから救急車で運ばれるから、また連絡するわ」

この電話をしている間に、若い女性が、発車間際にもかかわらず、手持ちの絆創膏を持って来てくださいました。
ありがとうございます

助け起こしてくださった男性と、絆創膏を持って来てくださいました女性には本当に感謝しております。


人生初の大怪我、そして救急医療の現場

このあと、いろんな人に怪我したときの状況を聞かれました。
「後から誰かに押されましたか」
「いいえ、自損事故です。自分の傘に足をひっかけました」
「本当ですか。事件ではないんですね」

これが現実なんでしょうか。
事件性のないことを、しつこく確認されました。

こんな質疑応答があったため、救急車で病院に運ばれるまで、結構な時間がかかりました。
日曜日のため、外科対応しているところがなく、けっきょく南東北病院の救急センターに運び込まれました。

レントゲン写真を何枚も撮られ、骨折箇所の確認。
その後、脚の傷を縫合されますが、
「エスカレーターの傷は治りにくいので、縫合しても壊死することがありますから」
とさらっと言われました。
ここでちょっとショック。
実際、壊死してしまって、関知するまで3カ月以上もかかってしまいました。

そして手首の骨折については、複雑を通り越して粉砕骨折のため、手術してプレートを入れたほうが良い、という言葉が・・・・。

プレートを入れないなら、昔ながらに骨を元の位置に戻して、グルグルと固めてという治療法になるとか。
これは相当に痛そうです。

どちらにしても翌週以降のスケジュールはすべてキャンセルして、大学は休講することに。

突然の大怪我、そして突然の2択。
どうしようか、と考えますが、素人考えで答えが出せるはずもなく。
そして、どっちが痛くないんだろうかという判断基準が頭をよぎりました。

救急センターのお医者さんが言うには、プレートのほうがはやく手を動かせるようになるから、仕事に早期復帰したいなら手術です、なんだとか。

でもなー、手術って痛いよね、きっと。
それに怖いし・・・(~o~)

この日は判断せず、担当の専門医に診てもらうことになり、翌週の診察を予約してもらっていったん帰宅。
その夜は、あまりに痛くて眠れませんでした。


はじめて知った南東北病院の真実

さて、南東北病院は今年4月から外傷センターというところができて、そこには帝京大学病院から、難しい骨折とか骨の病気の専門医のチームが移ってきたのだそうです(入院中に聞きました)。

そのチームの先生が、週明けの診察では、プレートを入れて固定する手術(入院あり)と、外部から固定する手術(入院なし)について説明してくれました。

わたし自身は、
「プレートでも仕方がないや」
「全身麻酔で手術・入院するのも致し方なし」
と、このころには腹をくくっていました。

矢でも鉄砲でも持って来い!
そんな気持ちになっていたわたしに、
「もしかするとプレートを入れるのは難しいかもしれませんね」
と担当医がさらりと言いはじめました。

ええーっ!!!

骨折箇所が手首ぎりぎりのところで、しかも縦にも割れていて、プレートを固定できるかどうか微妙、というのです。

「カンファレンスで相談してみてから決めますから、改めて診察に来てもらえますか」
といわれ、その日は手術の方針が決まりませんでした。

そして結局、プレートで固定する全身麻酔の手術を受け、5日間の入院が決まったのでした。

術後すぐの様子


全身麻酔で手術したら我慢しないこと!

転落から11日目の5月20日。
いよいよ全身麻酔で手術です。

全身麻酔は初めてのことでしたが、今は本当によくできているんですね。
眠って起きたら、すべて終わっていました。

骨折したために仕事の打ち合わせをキャンセルしてしまった麻酔科医の先生から、
「痛いのを我慢せず痛み止めを処方してもらってください。
痛いという記憶がリハビリを遅らせることになりますから」
とアドバイスいただいたことから、痛み止めをどんどん処方してもらいました。

脳に痛みが記憶されるとリハビリで苦しむことになるので、痛いのを我慢しない方が良いらしいです。


入院中に考えたこと・学んだこと

入院中、帝京大学病院から先生と一緒に転院してきた患者の方々(世田谷の方と川口の方)や、地元福島県内の方々と一緒の6人部屋に入ってました。
こういう経験も勉強になります。

入院中にはやることもないので、とにかく読書。
又吉直樹の「火花」、澤田 瞳子 「若冲」、佐野 眞一 「あんぽん 孫正義伝」といった本を読みました。

そして、今回のケガでいろんなことを学びました。

学んだこと・その1

病院のIT化が思ってる以上に進んでます。
Suica(スイカ)で支払いができます。そして、患者はスマホでLINEしてます。

学んだこと・その2

医師と患者の、ケガに対する心理的距離感が違います。

患者にとっては人生で一度、あるかないかの経験。
医師からみたら、私のケガなんて大したことないレベル。
たった5日で退院できるくらいのものなんですから。

病室でお隣だった川口の方は、発病から3年たっても退院のめどが立たない、という方でした。
お元気ですが、脚の骨を治療しているため、車いすを使用しています。

手首の骨折は、病院内では軽傷の部類なんです、ホントに。
ここでは、車いすに乗るようなケガをして一人前なのか、なんて思いました。

学んだこと・その3

若者のほうが親切です。

普段から都バス車内で感じていたことではあるのですが、ケガをした直後に声をかけてくれたり、助け起こしてくれた方々は20歳前後の皆さんでした。

思うに、これは文科省や厚生労働省の教育効果が出ているから、ではないでしょうか。

子どものころから、高齢化社会のなかで育ってきた彼らには、弱者を助ける教育が施されています。
弱い人というのは、高齢者や身体に障がいがある方をはじめ、幅広く定義されています。
そんな人には、反射的に手を差し伸べる。
そんな若者が増えているのだと思います。

手術後、大学に復帰して、骨折して休んだ経緯を話したときに、
「みんなと同じくらいの人に助けられたよ」
と話したところ、
「東京で、先生みたいに転倒した人を助け起こして運んだことありますけど、大人は無視してました」
と語った学生もいました。

極論ですが、弱者を助ける精神は大人にはほとんどないけれども、20代以下には確実に埋め込まれている、ということなのではないでしょうか。


術後通院で東京・水戸・福島の三角移動生活へ

さてさて、経過に戻りますが、手術後は通院です。

毎週通院なので、水戸、東京、実家の3か所をぐるぐるしながらの生活が、約3か月間続きました。
つまり、毎週移動する生活です。
あちこち移動することは、そもそも苦になりませんが、今回は少々事情が違います。

まず、利き手の右手が使えません。
重いものは持ってはいけないことはもちろんですが、左手がふさがると何もできなくなるので、両手が空いている状態を作らねばなりません。

そういうわけで、大人になって初めて、リュックを背負うという経験をしました。
たしかに両手は使えます。
しかし、すべてのものが背中にあるので、こまごましたものを取り出すには、いちいち背中から降ろさねばならず、面倒くさいことこの上なし、でした。


超音波骨折治療器のおかげで治療期間が短縮

利き手が使えない中、超音波骨折治療器を持ち歩かねばなりませんでした。
骨折の治療期間を3〜4割早めるという「超音波骨折治療法」が取られたため、帝人ファーマの「セーフス」を毎日20分使用することになり、この「セーフス」一式を持ち歩くということに。


レンタルしている精密機器なので、取り扱いも丁寧に、毎日使いました。
ちなみに、医療従事者向けにAmazonでは、伊藤超短波株式会社の「超音波骨折治療器 オステオトロンV」というものが販売されています。

スポーツ選手などが利用しているという話をお聞きになった方も多いと思いますが、本当に治りが早いみたいです。

超音波骨折治療器 オステオトロンV (OSTEOTRON V)
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砂糖パワーで足の傷を根気よく治療

脚の傷は予測されていた通り、縫合した部分は壊死したため、外傷センターのほかに形成外科にも通うことになりました。
こちらは、肉が盛り上がってくるようにする治療です。

毎日、お風呂で傷を洗い、処方された薬を塗り、保護パッドをあてる、という日々が3か月半続きました。

傷がふさがり、かさぶたが落ちたのは、手首がほぼ完治と言われた診察日(8月18日)のあとでした。

脚の傷に、後半処方されたのは、通称イソジンシュガーという塗り薬。

閉鎖性ドレッシング法による褥創ケア (NURSING)

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200グラムのうち、半分が精製白糖、つまりお砂糖です。
これにポピドンヨードが入っているという、シンプルなものなのですが、寝たきりの方などの褥瘡に効果があるお薬なのだそうです。

先に登場した麻酔科医の方も、
「よく聞くんですよ~」
とおっしゃっておりました。

脚のケガのおかげで、入浴時に使用できる防水フィルムが販売されていて、手軽に買えることもわかりました。

そして、イソジンシュガーも防水フィルムも、高齢社会で寝たきりの方が増えたことで開発されてきたという経緯があると聞きました。
そのおかげで、わたしの脚の傷はきれいに治りました。

わたしが通うダンススタジオのオーナーも、若いころに脛の肉が落ちるというケガをしたそうです。
今週、かさぶたも取れた私の脛をみて、
「今は肉が盛り上がる、いい薬があるんだね」
とおっしゃっていました。


骨折が「脱」東京のきっかけに

最後に、今回のケガは、私にとって大変なことではありましたが、仕事のやり方を考え直す良いきっかけとなりました。

簡単に書くと、東京にいる必要はない、ということです。

場所に縛られない働き方は、自分の気持ちをどう切り替えるかで選ぶことができる、とつくづく感じました。

また、不幸中の幸い、ということも実感しました。
  • エスカレーターの前後に人がいなかったので、第3者に迷惑をかけることがなかった。
  • 運び込まれた病院に高度な治療ができる専門医師がいた。
  • そして、これは他のお医者さんにも言われたことですが、術後、何の不便もなく手が動くこと。
実は、細かい神経が通る手首は、お医者さんが手術を嫌がる部位なんだそうです。

そして、最大の不幸中の幸いが、実家に戻っていた時にケガしたこと。

母曰く、東京だったら病院に行くだけで大変だった。
確かに。
家族のサポートのおかげで、傷も精神的なダメージの回復も早かった、と心底思っています。

まだリハビリは続きますし、来年春にはプレートを取り出す手術を受けます。
ですが、ケガからほぼ完治までの3か月余りの時間が、今後の自分の生き方を決める時間となったことは間違いありません。


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