免罪符ビジネス

最近は、社会貢献というキーワードがビジネスの世界では踊っています。一番有名なのはボルビックの「1リッター フォー 10リッター」でしょう。
エコグッズを購入するのも、貧困国に寄付するのも、NPO団体のイベントに参加するのも、すべて社会貢献したい!という気持ちからに他なりません。

しかし、一歩退いてこの現象を眺めると、歴史上のある事実にいきあたります。

中世までのキリスト教は、現在でいうところのローマンカトリックが中心でした。ローマ教皇を頂点とするキリスト教です。
しかし、そのあまりの堕落ぶりが問題視され、カルバン派に代表されるピューリタニズムが登場します。こちらは聖書に書かれていることを大切にしようという運動をはじめます。折からの活版印刷技術により、手書きの高価な聖書から、大衆向けの聖書が印刷され始めたことも、そのきっかけとなりました。

ローマンカトリックは、ピューリタンから堕落を批判されます。
たとえば、君主論で有名になったチェーザレ・ボルジアが代表例といってもいいでしょう。彼の父は、後に教皇にまでなったアレクサンデル6世です。このころ、本来は禁止されている妻帯が聖職者にも広まっており、大衆にキリスト教を教える立場の人間の堕落がひどかったのです。

さらに、商工業者が力を持ち始めたのもこの頃です。フィレンツェを創造したといってもいいメディチ家はその代表ですが、このような人々に対して、教皇庁は免罪符を売り出します。

免罪符の意味を知るためには、キリスト教を知らなければならないので少し説明をすると、キリスト教には”原罪”というものが存在します。人間は生まれながらにして罪を背負っている、という思想です。これは千年王国思想(ミレニアム)とともに民衆に広まっていました、当然ながら聖職者と教皇庁の努力によって。

原罪を軽くするためには、教会に通い、説教を聴き、そしてできれば教会に寄付する、という行為を何年も積み重ねる必要があります。これを手っ取り早くお金で解決したい、という新興勢力の商工業者が登場したことにより、免罪符というビジネスが教皇庁によって行われました。
当然ピューリタンは、免罪符を認めません。

というような歴史を振り返ると、社会貢献ビジネスもまた、一種の免罪符ではないかと感じます。
聖職者や教皇庁にあたるのはマスメディアでしょう。

ちょうど開かれているCOP15も、クライメートゲート事件に触れて解説がされるべきですが、全くと言っていいほど出てきません。日本は15億ドルもの拠出を条件に温暖化対策を途上国に求めていますが、そんな安請け合いが通るのでしょうか?

免罪符ビジネスの背景には、個人の豊さがあります。豊かであればこその免罪符ビジネスなのです。
日本には昔から良い言葉があります。「貧すれば鈍する」です。日本人が貧したとき、社会貢献ビジネスはどうなってしまうのでしょうか。