東日本大震災366日目 (2)

震災の当日、自宅に戻ったら、甥がいました。
彼がいたことで助けられたこともあります。

まず力仕事。
とにかく水がないので、これを買って運ぶという仕事をしてもらいました。

身内として安心できたこと。
一人で誰とも連絡ができないままに、24時間以上経過するというのは、一大事件が起きたときには一般人には許容しがたいものです。

私自身、甥が千葉に引っ越してきて1年未満(気になりますよね)、このような事態の中、彼の安否が気にならないはずはありません。連絡もしました。

が、我が家にいたのです。これで少なくとも、かなり安心できたことは確実です。だからダンスのレッスンにも行けたんです、きっと。


地震直後は動かなかったエレベーターが翌日の午後には動きました、ガスも無事使用できました。
甥はガスが使えるとなった直後、風呂に入ってましたね、たしか。

とはいえ、甥は千葉で、液状化したエリア近くに住んでいたため、震災後2泊してから帰宅しました。
その間、所沢の伯父から、執念の電話を受けたことが記憶に残っています。

私のいとこと、震災直後に話をしました。
彼は普段はカナダで生活をしていますが、ちょうど日本に戻っていたのです。

彼は強く希望して、被災地にボランティアとして向かいました。が、それは、震災から1か月近く経ってからでした。そのアツい気持ちが役所では理解できなかったようです。

「想定外、未曽有」という言葉がよく使われます。
ですが、私には、震度7、深さ10キロ、マグニチュード9という数字しか、もはや記憶にはありません。