東日本大震災366日目 (1)

2011年3月11日14時46分に発生した東日本大震災から今日で366日目です。
アメリカでテロのために高層ビルが倒壊したのは9月11日、ちょうど6か月違う、というのも、なんとなく、天の配剤かな、と思ってしまいます。

昨年の3月11日は金曜日でした。
六本木のオフィスには総勢4名がいて、突然の地震におびえたことを思い出します。中には香港から留学していた学生もいて、彼はその後宮城や岩手にボランティアとして何度も行っていました。

私自身は、地震直後にワンセグでNHKを選局、そこに見た津波のメートル表示に驚きました。
それまでも何度も津波注意報は見ていましたが、何センチ、という世界です。ところがこの時はメートルです、単位が違うんです。
これはすごい事態だな、と感じたのは実はこの時でした。

私は、小さいころから数字を記憶したり、単位で同じものが違う数字で表現されることが面白く感じる性格であったことも、この数字に反応したのかもしれません。

地震に関しては、震度5強はたいして怖くない、ということです。私はどうも揺れには強いみたいです。

地震から1時間くらいして、かなりの被害があるとわかってからオフィスから避難、多分4時過ぎくらいには帰宅指示を出していたと思います。

私はオフィスから歩いて帰宅して、我が家の14階まで歩いて登ってカギを開けようとしたら開いてる?
なんと、甥がバイトで来ていて、我が高層マンションで被災していたのでした。

狭い我が家はモノが散乱し、足の踏み場もありません。
そこで、床に落ちたものはすべて捨てる、という方針のもと、すべて片づけました。簡単な方針だったので、1時間くらいですぐに終わりました。

その後、私は普段の予定通りダンスのレッスンへ。これも異常と言えば異常なんですが、習慣を変えないほうが良いと思ったんです。
一応先生に相談したんですが、やってるし、他にやることもないし、といいうことで、行きました。
ダンスはいつも通りのレッスンだったんですが、普段はついていないテレビがつけっぱなしだったことが印象に残ってます。

明治通り沿いに我が家はありますが、夜8時くらいの渋滞と人の群れは印象に残っています。
神奈川方面に帰る人達の群れです。
全く動かず、イライラしていました。
携帯電話で連絡が取れていればイライラはかなり軽減したと思いますが、当時の話では、携帯電話はもちろんメールも使えず、不安が増したとのことです。

日本国内ですから、多分、調整すればなんとでもなるんではないでしょうか。
たとえばテレビ局に使用を許しているUHF帯を、積極的に携帯電話に譲っていれば、地震当時でも、もしかするともっと快適に、メールも電話も通じていたかもしれません。