学生が学生を評価する

私は担当する授業の多くにグループワークを取り入れています。
グループワークを行う最大の理由は、社会に出ればすべての仕事がグループワークだから、です。そこには、1から学ぶ新人もいれば、数年経験した先輩もいて、多くの場合、担当マネージャーがリーダーとなるか、または助言者としてついてくれます。

またグループワークを行うことで、ほぼ初対面の人とのつきあい方のようなことも学んでもらいたいと思っています。まずは「自己紹介から」と必ずいいます。そう言わないと、グループメンバーの名前も知らないまま、ということも珍しくないからです。

そういうわけなので、グループワークを行う当事者のほかに、有志の先輩には、積極的にサポート役として参加してもらっています。
この秋セメでも、マーケティング論では飲食店の出店計画を作っていますし、日本産業論ではホテル業界をテーマにSWOT分析をはじめとする情報収集と整理の手法を教えています。
マーケティング論の発表は12月18日に、日本産業論はグループ単位での発表3回を元に成績をつけることになっていて既に2回が終わりました。

実はこの日本産業論は、昨年は私だけが評価者だったのですが、今年は4年生2人を評価者に加えました。どちらも昨年履修したので要領はわかっています。
そして学生に評価をお願いして、私も改めて学ぶところがありました。

それは、評価結果は評価者の思考に左右される、という極めて当たり前の事実です。
教える立場からすると、彼らに対して同じことを教えているはずですから、彼らの評価そのものが私の影響を受けているのではないか、という予測がありました。
しかしこれは全くの杞憂でした。

翻って考えると、学生という、まだ柔らかい頭脳を持っている世代ですら、教育には直接的な効果が見られない、ということになるのではないか?という極端な結論に行き着きます。

もちろん私は、教育に全く力がない、とは思っていません。
ごくごく微力ではあるものの、人間の成長過程において、教育から広い視野を得たり、経験を通じて深い洞察力を体得するなど、そういう効果があると考えています。

しかし、考え方というか思考にまで影響を与えることは難しい、と感じています。
脳にはまず男性と女性で大きな違いがあります。よく知られていることですが、女性の脳は脳梁が太く、左右の脳の情報連携が活発であることが指摘されています。

このようなわかりやすい違いのほかにも、脳には個人ごとに癖があるのではないか、と常々感じています。たとえば、記憶力が非常によい人とか、その記憶力も文字列などに強い人と、視覚的な情報、たとえば顔を覚えるといった記憶に強い人に分けられるなど、それは脳の癖、得意不得意といった個性といってもいいかもしれません。

教育は、知識を広げ、体験させることはできます。つまり脳を刺激する情報を与えることは教育は得意でも、脳本来の個性を変えることはできないし、思考はその脳本来の癖に由来する、と感じるのです。

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