言葉の皮を剥きながら


永井 路子氏の「岩倉具視―言葉の皮を剥きながら」を読了。
昨年の大河ドラマにも登場し、ひとくせある人物として描かれていました。岩倉具視といえば、私の中では500円札の人、というくらいで幕末の重要人物の一人なんでしょうが、印象の薄い人物です。
この著作では、岩倉具視という公家出身政治家を、幅広い資料とご子孫のご協力を得て描かれています。そういう意味では決定版的存在かもしれません。
ただ、その時代背景についての解説などが浅く、随筆のように書き進められているところがありますので、歴史的背景や事実などに知識がないとついていけないと思います。

私にとって新しい発見だったことは”版籍奉還”は大名にとって抵抗のないことだったということです。織豊時代から江戸時代初期を描いたドラマを見ると、よく「安堵する」という言葉が出てきますが、自藩を安堵してくれるのが幕府なのか天皇なのか、という違いだけであったためのようです。領有権が安堵されていたわけですから、素直に従うはずです。
この後の”廃藩置県”のほうは、大名を首都に集めて領地から話し、そして統治者とその家臣団を分断することが目的だったため、抵抗があり時間がかかったそうです。

これが永井流の「言葉の皮を剥きながら」ということのようです。
日本史ではひとつの言葉、つまりレッテルをそのまま鵜呑みにしてしまい、結構なことが行われたのだと認識してしまいがちですが、そういう潜在意識を無しにして見直してみようということのようです。

そういえば2月5日(木)22:25からの「知るを楽しむ 歴史に好奇心 野望の“錬金術” 百年の興亡 <全4回>第1回」では、銅山を政府の役人が民間人から奪い取ったという事実について検証していました。その役人とは井上馨と山県有朋です。
こういう事実を私たちはあまりに知らなさ過ぎる。そのことを教えてくれる一冊です。

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