東大安田講堂とパラサイトミドル


昨夜の「日本史サスペンス劇場」では東大安田講堂の攻防戦を2時間スペシャルで放送していました。当時の学生運動はなんとなく記憶にある程度で、安田講堂の攻防戦となると本当に歴史上の出来事です。
当時の関係者が登場してコメントしていましたが、日本テレビだけあって、センチメンタルな作りではなく淡々と事実が積み重ねられているように感じました。本当のところはわかりませんが。

ずっと見ていてつい「滑稽だな」と口に出たのですが、どこが滑稽に感じたのか思い直してみると、攻防戦がなんとなく昔のゲームみたいに見えたからかもしれません。
学生が石や火炎瓶を投げてくるのですが、決定力のある武器があるわけではありません。これはゲーム中に登場する邪魔者キャラクターに当てはまります。一方の警察は学生よりは効果の高い武器を持っているんですが、使える範囲が決まっていたりします。そのため、警察の突入といってもバリケードを破るのに何時間もかかります。理由は、警察がバリケードを破ろうとしている上から学生が石と火炎瓶を投げるため、火が発生すると消火するために放水されて一時中断というようなことが何度も繰り返されるためです。

このような対応を取らざるを得なかった理由として、番組では、安田講堂が文化遺産のように重要なものだから、としていました。指揮していた佐々淳行氏は赤軍派の事件で鉄球を使って建物を壊したような人ですが、そもそも鉄球を使うというアイデアはこのときに出たものだそうですが上記のような理由で却下されたそうです。これが許されていれば安田講堂は形を変えていたかもしれません。

イデオロギーという言葉が死語にも感じる現代では、安田講堂の事件は、結果がわかっているテレビゲームのように平和でした。安田講堂の中で行動していた学生の多くも、何時間粘れれば勝利かを読んでいたように番組では表現されており、負けるが勝ち、みたいな言葉が生きている時代の逸話のひとつのように思えます。
ただ現代では、間違っている、と断じて立つ学生はもちろん、大人も少なくなったと感じます。最近「パラサイト・ミドルの衝撃サラリーマン― 45歳の憂鬱 NTT出版ライブラリーレゾナント016
という言葉が注目されていますが、なぜ日本人は自らの考えを言わなくなってしまったのでしょう。