少年時代の麻生太郎

昨日、麻生太郎氏が自民党総裁になりました。
そこで思い出したのが、今春大学を退官された70歳を超える方からうかがった話です。

現代のベンチャー企業並みの当時の広告代理店でバリバリ仕事をされていたその方は、年齢的には高度成長時代に20代、30代だったこともあるのでしょうが、偉くなることと乗り物や出張先が関係した話をされます。つまり、新幹線のグリーン席で大阪出張というのは部長以上、飛行機で出張といったら役員クラス、といったイメージです。
当時はイメージとばかり言えなかったのでしょうし、現在でも出張規程にこれらの利用について制限を設けている企業が多数を占めると思います。

で、ここからがうかがった話なのですが、その方が、飛行機で福岡出張に初めて出かけたときのことです。当時30歳そこそこだったその方いわく「いよいよ俺も飛行機で出張できるぐらい偉くなったか」と思い、意気揚々と飛行機に乗り込んだのだそうです。席は前方で、隣の席には中学生と思しき少年が着席しています。
その方は、その少年が悠然と、しかも慣れた様子で飛行機に乗っていることに興味を持たれたのでしょう、その少年に声をかけました。「ひとりで福岡まで行くの?えらいねぇ」と。
するとその少年は「毎週東京の塾に通っているんです」と応えたそうです。

今でこそ子供が一人で飛行機に乗ることが珍しいわけではありませんが、それでも塾に通うために毎週飛行機に乗っている子供は数えるくらいしかいないでしょう。
飛行機といえば、それこそ最上位に位置する乗り物だった時代のことです。

このエピソードを話した後に、その方は「あれは麻生太郎だったかもしれないね」と言いました。
確かにうなづけるところです。なにしろお坊ちゃまだそうですので。

九州北部出身の方と話をすると、麻生セメントの話がよく出ます。
若いころは政治や、日本の近現代史に全く興味がなかったので、それが吉田茂に連なる九州の財閥だということにはトンと疎かったのですが、20年くらい前にたまたま麻生セメントの関連会社の方と知り合いになる機会があり、知識を得ました。皇族ともご縁があるということで、そういう会社で働く方々にとってはやはり誇らしいことのようです。

松濤にほど近い代々木公園エリアに住んでいたころ、麻生太郎宅の前を散歩で通ったことがあります。スイスのシャレー風の赤い屋根が印象的でした。

こう書いていくと、麻生太郎が身近な存在に思えてきました。
彼の経済政策とかいうものには共感しませんが。