逆行する日本1 <安心>


安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書) 」という新書を読みました。著者の山岸俊男氏は北海道大学の先生ですから、学生向けに社会心理学を解説した本なのでしょうか、ちょっと回りくどく感じる部分もありますが、大変参考になりました。

著者によると、”安心社会”というのはこれまでの日本社会を指しており、社会構造と人間関係による安心が一定のレベル以上に担保されていた社会を指しています。
一方の”信頼社会”というのは、いったん他人を信頼することで一歩踏み出すことを指しています。
著者はこれらの言葉を説明するのに、「はじめに」の部分で戯画的に説明しています。

山奥の生まれ育った村に住む農民にとって、この人間を信頼してよいかどうか、などは考えるまでもないことです。しかしこの農民が江戸に出てくると、何もかもがわからないことだらけですから、誰のアドバイスを聞けばいいのかわからなくなります。そこで、この人間を信頼してよいかどうか、を考えざるを得なくなるというわけです。

著者によると、現在の日本(上梓された1999年時点)は、のどかな農村社会から江戸に出てきた農民と同じような状況にあり、”安心”がコミットされていない社会に移行している過程にある、ということです。
この新書を読んでいて、常に思い出されたことは、英語のレッスンを通じて学んだ日本社会の閉鎖的な人間関係と構造です。vertical relationship、hierarchy と表現されるタテの人間関係がいかに隅々まで行き渡り、これらが人間関係のセーフティネット化していること。ウソをつく人間は社会から抹殺されることを表したおとぎばなしの数々。英語のレッスンでしたが、改めて日本人を分析する機会があった私にとって、”安心社会”が営々とした歴史の積み重ねから構築されており、これが日本文化の根源であるとともに、海外から見た場合には高いハードルになっていることを理解する結果となりました。

この本には数々の示唆に富む事例が紹介されていますが、”安心社会”の住人である日本人のほうが、”コミットメント(生きていくうえでの社会規範のようなもの)”がなくなると、途端に独善的な判断を下すという実験が紹介されています。実際の実験ではお金が介在するので、日本人は数学や確率論に弱いとも言えるのですが、目の前に見える確実に手に入れられるお金を得ようとするようです。相手にいったん預ければ、グループ全員がそれよりも多い金額を得られるにもかかわらず、です。

「あれ、この話どこかで読んだような、聞いたような?」という方もおられることでしょう。ドラマ化されたコミック「LIAR GAME (1) (ヤングジャンプ・コミックス) の中で、ナオがこんなことをみんなに説明するシーンがあります。

「ライアーゲームは、自分だけが儲けたい、と考えなければ誰も損をしないゲームなんです」

LIAR GAME (1) (ヤングジャンプ・コミックス) 」が描いたのは、まさに”コミットメント”が失われたときに起こる、日本人の「ひとを見たら泥棒と思え」的行動なのではないかと思います。

もっともこのコミックを読んで、かなり数学に強い方が描いておられるな、とは思いましたが。

”安心社会”の崩壊は、農村の都市化はもちろんのこと(イオンが田んぼのど真ん中にどーんとできる)、インターネットの普及による情報のフラット化がもたらしたものでしょう。
しかし今、官僚やノスタルジーに浸る政治家は、コミットメント関係を修復して”安心社会”を取り戻そうとやっきになっています。
このように書くと良いことのように思えますが、コミットメントの裏には「機会費用(Social cost)」が生まれるのだそうです。
会社でもよくある話ですが、経費清算のルールが厳しくなる背景には、ひとりかふたりの経費清算に不正が発覚するという事実があります。一度そういう不正を経験した担当者は、不正を行わないようにルールを厳格化し、面倒な手続きを増やします。
そこには「信用できない」という言葉が介在する不信感があります。ルールの厳格化によりもたらされるコストの増大は、この際無視されます。つまり、コミットメント関係には不信がつきもののようで、これにより機会費用が増大するというのです。

逆行する日本については、思いつくままに今後も書いていきたいと思います。