英米法と大陸法

昨年末に「最近シュンペーターが注目されている」と聞いたので、「シュンペーター―孤高の経済学者 (岩波新書)」を読みはじめました。実を言うと、まだシュンペーターの経済理論を読みきっていないのですが、この本を読んで以来、気になっているというか、考えたことがあります。

そもそもシュンペーターという経済学者の名前は大学時代に知ったものの、それっきりという間柄です。なので、シュンペーターがどういう人なのか、どんな人生を送ってきたかはもちろん、彼の経済学上のポジションも全く知りませんでした。
シュンペーター―孤高の経済学者 (岩波新書)」 には、彼の生い立ちから書き起こされていて、私のようなマーケティング畑出身者には、わかりやすい内容です。彼の経歴で注目すべきは法学を修め、統計学にも明るいという点でしょう。この経歴が経済学における彼の理論にも現れているようです。

シュンペーターの生きたオーストリアは国民が本当の意味でのcitizenではなく、したがってcitizenshipも持たなかったので、法体系は大陸法でした。ドイツ・プロイセンがイギリスやフランスに対抗して国力を高めようとしていた時代であり、ちょうど日本国憲法を検討していた伊藤博文が渡欧していた時代とほぼ同時期です。
本書によると、「ウィーン知識人の心情」と題して、以下のように記されています。
”このオーストリアを理解する場合、重要なことの第一は、近代の啓蒙的政策が、絶対君主の力によって上から行われた歴史を持っていたことである。農奴解放、農民の土地所有の自由、カトリック教会からの行政や教育の自由、ユダヤ人の解放等々--それらが啓蒙絶対君主ヨーゼフⅡ世のもとで、18世紀末に行われ、それを推進したのが、先進ヨーロッパ諸国からの知的影響を受けた自由主義的官僚だったということである。”

まるで明治維新以降の日本のようです。
英語で明治維新のことを”Meiji Restoration”、つまり王政復古と表現するように、決して革命ではありません。
よって、伊藤博文はフランス法学者をたくさん抱えて憲法の制定を急いでいたにも関わらず、ドイツの大陸法を採用したのではないでしょうか。

英米法の基本であるイギリスの法体系を理解するには、イギリスの王が征服王であった点に留意する必要があると考えます。征服された貴族が王権に対して制限を加えるような契約(マグナカルタ)をしたことが始まりです。
王は時代とともにいろいろなことを考えるので、王権も時代につれて拡大しますが、これに対して柔軟に対抗できる必要があったのではないかと想像します。この辺は専門家ではないのではっきりとはわかりません。
英米法が判例に重きがあるのも、このような歴史があったためと考えます。

一方の大陸法ですが、これは日本も採用しているのでわかりやすいと思います。憲法を最高として各ジャンルにわたって法律が網羅されているというものです。
最近の憲法改正の投票を18歳以上にしたことで、従来の法律との整合性がとれない、などという議論が出てくるのも大陸法ゆえでしょう。
したがって、大陸法は時代の変遷に追いつきにくい、という特性があるのだと思います。

で、私が最近気になっていること、考えていること、です。
インターネット時代の今、大陸法の欠点がボロボロと出てきているように感じます。そもそもインターネットの始まりが英米法の国なのですから、インターネットで世界を席巻するような何かを発明することは日本では難しいのではないのか、と考えてしまいます。
また英米法は時代の変化に対して判例という形で進化していくため、法体系として腐ることがない。大陸法は陳腐化の速度も速いはずで、日本の今がその腐った法体系の時期なのではないかと感じています。

citizenとcitizenshipが英米法には欠かせません。日本人にもそういう意識を持つ人が増えてきていると思いたいです。

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