段取り8割

講義だけで全15回の授業が終わらないような内容を学生に提供しようとすると、下準備が大変です。いわゆる段取りというもので、いっぱんに仕事は段取り8割、と言われます。

たとえばサービス産業論の場合、普段から来年度にご協力いただけそうな企業を探す必要があります。なぜなら、大学生に自社が抱える課題を預けてみよう、などという企業はそんなに存在しないためです。
よって、初めて出会った方はもちろんのこと、これまでの知り合いも含め、事前情報を十分に持ってもらい、授業内容に理解を示してもらうことが大切です。
以前ご協力いただいた企業の方からご紹介いただくことも重要です。

課題をいただけそうな企業の方には、授業全体の目的、スケジュール、企業様にご負担いただく事柄などを説明し、社内で予算を取っていただけるようにお願いします。
よって、次年度の予算編成の前にこの話をしなければなりません。日本では多くのお会社が3月末、または12月末を期末としていますので、それまでにご理解いただき、予算計上していただく必要があります。この一時だけでも、課題をいただくためにはかなり前から準備が必要であることがおわかりいただけると思います。

課題をいただけることが決定してからも、今度はその企業様との詳細のツメが何度もあります。
まずは最終プレゼンの場所と、プレゼンを受けるメンバーをおおよそ決めていただきます。プレゼンは、基本的にそのお会社の経営陣の方にご参加いただいています。そのため、大まかなスケジュールを社内的にオーソライズしていただく必要があるためです。

次に、学生が社会人として恥ずかしくない社交マナーのイロハを知るために行っている、企業様主催の懇親会について、場所や企業様からの出席者等について相談します。このときプレゼンを行う場所についてもあわせて相談します。

最後に、学生に対するオリエンテーションの内容、そして最も重要な課題をどんな内容、そして表現にするか、について直前に相談して決めます。学生が誤解しないような表現で、小さくまとまらないような文章にする必要があるため、「てにおは」といった細部までこだわります。
そしていよいよ企業様からのオリエンテーションが行われます。

ここから先、学生がプレゼンできるようにするための段取りが別途あるのですが、これについては別の機会に譲ります。

ちなみに、最近「段取り」という言葉をあまり聞かなくなりました。
バブルの頃には、段取りが悪い奴は仕事ができない、というムードがプンプンしていましたが、最近は「段取り」という言葉すら出てきません。どうして使われなくなったのか、全くわかりませんが、「段取り」は復活させるべきだと思います。
大学のゆっくりしたムードのなかでさえ、段取りがこれだけ必要であるのですから、実際のビジネスにおいて段取り力が重要なことは言うまでもありません。

段取りには、全体スケジュールの策定、工程毎に必要とされるものの準備、周囲への根回し等、プロジェクトがトラブルなく進行するためのすべての準備事項が含まれます。
プロジェクトが始まれば、今度は進行管理とイレギュラー対応が求められます。
後輩に仕事を覚えさせるときには、まずは自分がこの段取りを行って見本を見せ、次にその後輩にやってみろ、と任せて、自分はサポート役としてチェックする、という段取りでOJTを進めたものです。

段取りという言葉が消え、プロジェクトマネジメントという言葉に代わったのかもしれません。業務として考えた場合の内容はほぼ同じですから。
段取りがという名詞が持つ包括的なイメージが、プロジェクトマネジメントという言葉と概念に置き換わったことにより、業務の担当者や分担などのほうに重きを置かれてしまっているような印象があります。
責任が限定され、個人の役割範囲が限定的になってきているのではないかと思うのです。

昨今現場を見ていると、体育の授業でバレーボールの試合をやっているような印象を持つことがあります。いわゆる「お見合い」でボールをロストするのです。
参加している選手はそれぞれ細かく業務が割り振られているために、自分の担当する業務範囲はよく理解しています。この深い理解が曲者で、ボールが仕事だとすると、想定外のことが発生した場合、これが自分の担当でないことがわかった瞬間に、自動的に無視するのです。悪意があってやっているわけではありません。むしろまじめで一生懸命なビジネスパーソンほど、その傾向が見られるといっても良いかもしれません。
自分以外に、その仕事を担当している者がいるかもしれない、ということや、自分の業務以外のことに手を出して本来業務がおろそかになる、ということが「お見合い」の原因でしょう。

段取りからプロジェクトマネジメントに代わってしまった影響がこういうところに現れているかもしれませんし、まだまだプロジェクトマネジメントといった考え方が根付いていないからかもしれません。